琉球朝日放送を応援しませんか?
東京9条まつりで三上知恵さんの話を聞いて
2010.11.23 おおばゆきお
11月13日、東京大田区の産業プラザで朝11時から始まった「東京9条まつり」に行ってみました。盛りだくさんの企画があって一日楽しんできました。
中でも琉球朝日放送のキャスターである三上知恵さんの話は考えさせられました。
DVD「狙われた海」の上映の後、「辺野古に基地はいらない」と題しての三上さんの報告でした。
基地化が進んでしまっている沖縄、「軍の恩恵を受けていて今更どんな風な反対ができるのか、先に政府にウンといった方が多くもらえる」「サンゴを植えることをしている金城さんのようなホントの海んちゅは少ない」「反対して勝つならオレはやるさ」という苦さと苦しさが充満している沖縄のj状況。(中央のマスコミは誰も、一人として辺野古を取材したものはいない!)
95歳になる中村ふみ子ばぁは、鳩山首相(当時)が沖縄に来た時、「がんばれ、ガンバレ」と応援したそうです。鳩山には県外移設の代替案があると期待されていました。
でも沖縄はその日、裏切られました。鳩山は辺野古に基地を押し付けてきたからです。 その時、ふみ子ばぁは「首根っこへし折ってやる、生きて帰えさん」と言って、鳩山の車列に飛び込もうとしたそうです。
ふみ子ばぁは「のぶ子、はる子(同僚?教え子?)をひめゆりにいかせてしまった…沖縄に一台の戦車も、一隻の軍艦もいらない…昔ながらの沖縄に戻るまでは死ねん」と言います。本人は、16歳の時(何の戦争の時だろう?)糸満で火炎放射機で半身を焼かれた経験があるそうです。
琉球朝日はこの間1945年当時の沖縄を扱って毎日(!)10分間の番組にして流しているそうです。
1944年日本の軍隊を沖縄に迎えて歓喜の渦の中にあったこと。一番いいところを軍人に与えて歓迎し、アメリカを迎え撃つ気力は満々であったこと。
三上さん自身が沖縄国際大学で民俗学をやった関係もあり、沖縄の風葬-牛馬は埋めるが人間は埋めない、白い骨が一番きれいだから、泡盛で洗ってからカメに入れる-の話。
屋良朝苗さん(公選行政主席、沖縄県知事)が、沖縄の闘いは(目の前の敵、壁をだろうな)鋭角ではなく「鈍角で削っていく闘い」と言ったが、笑いながら折れない闘いをしたいという思い、なかなか引き継がれていない思いの話。
尖閣列島の話に絡めて、「何もないのはまずい、早く軍隊を置かないと」とあおっているが、沖縄では軍隊がいるところが攻められたのだよという話。
日本が尊敬される国になるには、軍事費なんてやめて、毎年1000人の医者を世界中に送ったらどうかという話-などなど。
中央のマスコミや、沖縄関連の書籍を読んだり聞いたりするだけでは摑まえられない沖縄の現実と願いがありました。そしてそれを切り取れる視点の確かさを感じました。
1995年秋に琉球朝日放送は開局して、7人の記者でやっているそうです。
沖縄のアルジャジーラと呼ばれて、NHKの「今日も(測量など)進みませんでした」と放送するに対して琉球朝日は「施設庁はきょうもできませんでした」というように旗色は鮮明。なかには「英霊か犬死か-沖縄靖国裁判」というような題名だけでも「右翼」がざわめくようなのもあります(観たい!)。
それだけに様々な圧力は必至と見ました。三上さんの「応援して下さい」の言葉をしっかり受け止めなくてはと思いました。
