[梅田正己世相論評] of [出版・ろばの耳]

2011.2.15 梅田正己発

ウソも方便、「抑止力」は方便
「鳩山証言」から見えるもの



 2月13日、日曜日の沖縄の2紙、沖縄タイムスと琉球新報は、普天間問題をめぐっての鳩山前首相インタビューでの前首相の言葉を1面トップで伝えた。
 ここでは琉球新報の紙面を掲載させてもらう。

梅田資料琉球新聞.jpg
琉球新報紙面

一昨年9月、首相就任時には、普天間基地の移設先を、「できれば国外、最低でも県外」と言っていた鳩山前首相が、迷走・後退をつづけたすえ、ついに昨年5月末、県外移設を断念、自民党前政権と米国が合意していた辺野古案に舞い戻ってきたときに口にしたのが、海兵隊の「抑止力」だった。

「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していることがわかりました」

 ところが、そう語った本人が、1年もたっていないのに、「あれは辺野古案に戻る理屈付けだった。方便と言われれば方便だった」と言ってのけたのだ。
 バカにするな! 沖縄県民でなくとも、そう言いたくなる。当然だ。
 しかし、いかに軽く見えても、一国の首相だった人物の言葉である。
 きちんと受け止めて、学ぶべきことは学び取らなくてはならないのではないか。

 ■政治的体質は、民主党も自民党とまったく変わらない

 琉球新報の紙面から、「一問一答」の重要部分を引用しながら見てゆく。
 ――首相の「県外」の主張が、なぜ閣内で浸透しなかったのか?
 「閣僚は今までの防衛、外務の発想があり……国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが閣内に蔓延していたし、今でもしている」
 県外なんて、ダメダメ、無理に決まってるさ。自民党幹部だけでなく、民主党の幹部たちもそう思っているし、今でもそうだ、と言っているのである。

 ――なぜ(防衛官僚言いなりのように見える)北沢俊美氏を防衛大臣に選んだのか?
 「北沢氏は外務防衛委員長をしていて防衛関係に安定した発想を持っているということだった。テーマを決めて、そのための大臣だという前に、リストを決めて、その中で一番ふさわしい人という形で当てはめていった」
 基本方針があって、それを実行できる情熱と意欲、志操、経験を持っている人間を選ぶのでなく、党内の序列、論功行賞といった評価基準にもとづいて大臣候補者のリストを作り、その中から役職を「当てはめていった」というわけだ。
 政治的体質は、自民党も民主党もまったく変わらないということだ。

 ■官僚のカベにはね返された前首相

 ――外務、防衛両省に、新しい発想を受け入れない土壌があったのでは?
 「本当に強くあった。私のようなアイデア(たとえば常時駐留なき安保)は一笑に付されていたところがあるのではないか。
 本当は、私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。
 官邸に、両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーでたたかっていくから、情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。きわめて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」

 別の記事によると、前首相は外務、防衛の幹部各2人を官邸に呼んで、酒を酌み交わしながら、チームでやっていこうと語りかけたらしい。
 しかし官僚たちはそれを聞きながら、胸中では真っ赤なベロを出していたのだろう。その夜のうちにマスコミにばらしてしまった。翌朝、新聞を見た前首相の「切ない思い」は察して余りある。

つづいて、前首相はこう語っている。
 「防衛省も、外務省も、沖縄の米軍基地に対する存在の当然視があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう」
 防衛省=自衛隊は、その発足時(警察予備隊)から、米国(米軍)に育てられ、面倒を見てもらってきた。
 外務官僚の最高位は、次官ではなく、駐米大使である。日米同盟が「日本外交の基軸」だ。
 防衛、外務、どちらの官僚も対米依存、対米従属が本性となっている。
 「数十年の発想の中で、かなり凝り固まっている」というのは、前首相のまことに正直な感想だったのだろう。

 先般、菅民主党内閣は、防衛大綱(防衛計画の大綱)を発表した。
 その下敷きとなったのが、首相の私的諮問機関である有識者懇談会だった。
 メンバーには、元駐米大使、元防衛事務次官、元統合幕僚会議議長が入っていた。他の多数は大学教授らであるが、彼らはお飾りである。
 その証拠に、新大綱の内容は、自民党政権時代につくられた前大綱の路線を忠実に守り、発展させるものだったからだ。
 防衛も、外交も、官僚が舵を取り、進めている。この国は依然として官僚国家なのである。鳩山は、官僚の厚いカベにはね返された、ないしは突進して自爆したのである。

 ■辺野古に戻るためのツジツマあわせ、本心は別

 次がいよいよ「抑止力」の登場である。
 ――(首相は孤立無援だったようだが)味方はいたのか?
 「平野博文官房長官(当時)は(望みをかけた)徳之島をいろいろと模索してくれた。少なくとも一人はいた」
 あの平野官房長官のさえない表情が目に浮かぶ。
それにしても、味方がたった一人だったとは……!

――(しかし)県内移設理由として在沖海兵隊の抑止力は唐突感があった。
「徳之島も駄目で辺野古となった時、理屈付けをしなければならなかった。海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。
海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で、米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。
海兵隊自身の抑止力はどうかという話になると、抑止力でないと皆さん思われる。私もそうだと理解する。
それを方便と言われれば方便だが。広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」

「広い意味での抑止力」。苦しい、苦しい、言い回しである。あの当時は、そんな迂遠な問題ではなかった。問うていたのは、海兵隊そのものの抑止力だった。
だから、米軍の太平洋司令官まで出てきて、「北朝鮮の脅威」に対する「海兵隊の抑止力」を力説したのだ。もちろん、まやかしだった。
いかにも胡散臭い抑止力説を持ち出してきて、最後は「辺野古日米合意」で押し切った前首相の責任は大きい。

米・官・政のスクラムをどう突き崩すのか

ほかにも論ずべきことはあるが、省略して末尾へ飛ぶ。
――(最後に)反省点は?
「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという、押し込んでいく努力が必要だった。
オバマ氏も、今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに、多分(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」

「相手は沖縄というより米国だった」。当然だ。動かす対象は、米軍の基地だからだ。米軍は、すでに65年、そこに居座っている。それを出て行ってくれ、と言うのだ。
それがどれほど重い課題であるか、認識があまりに甘かったというほかない。

オバマ氏も、多分、周囲からインプットされているだろう、とも言っている。
そうだろう。アーミテージはじめ「日米安保で飯を食っている」人物はワシントンにいくらもいる。
だが、それだけではない。米国は、自国の「国益」のために、アジアに軍を前方展開している。そのために、ずばぬけて良いサービスを提供してくれているのが日本だ。
琉球新報にはなかったが、沖縄タイムスには、前首相のこんな発言が収録されている。
――なぜ米国は辺野古にこだわるのか?
「沖縄にいることでパラダイスのような居心地のよさを感じている。国内には、沖縄より良い場所はないという発想があるのではないか」

普天間問題解決の本丸は、米国・米軍である。
その米国・米軍を、スクラムを組んでガードしているのが、日本の官僚である。
そして、その官僚たちの指示のもとに発言し、動いているのが政治家たちである。

今回、鳩山前首相が自己の体験を通して赤裸々に語ったのが、このようなこの国の政治の構図である。
では、普天間問題の解決のため、この構図を突き崩すにはどうしたらいいのか。
結局は、民衆・市民の意思を、広く、強く、結集する以外にない。
民意をもって動かす以外にない。今回のエジプトのように。

そのさい、決定的ともいえる影響力を行使するのが、マスメディアである。
では、この国のマスメディアの現状はどうか。
「鳩山証言」報道の翌日、14日の沖縄タイムスの社説にはこうあった。
「……鳩山政権の動きに警戒感を募らせた米国は硬軟織り交ぜ、さまざまな圧力を新政権にかけた。
全国紙の米国特派員は『米国が怒っている』という類いの記事を流し続けた」

「エジプト革命」がそうだったように、この国でも民意の結集のためにはインターネットに物を言わせるしかないのだろうか。(了)

*連絡先:「高文研」のホームページ
梅田 正己(うめだまさき):(書籍編集者。近著『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』他)
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ソマリア沖海賊問題

―海賊対策の専門官庁・海上保安庁を跳び越して、なぜすぐ「自衛隊派遣」に跳びつくのか?
またも自衛隊法の拡大解釈
 ソマリア沖の海賊対策として、政府は自衛隊法82条の「海上警備行動」を使って海上自衛隊を派遣することを決めた。  「専守防衛」を大前提として制定された自衛隊法の中の「海上警備」は、もちろん日本周辺の海上に決まっている。それなのに、自衛隊の行動範囲をグローバルに拡大して、遠くアフリカ沖まで適用しようというのだ。  「法治国家」の政府がやることではない。

海賊取締りは海上保安庁の役目ではないのか
 それにだいたい海賊の取り締まりは、海上保安庁の仕事だ。だから海上保安庁の巡視船も、武器を装備し、ヘリコプターも搭載している。01年12月には奄美大島沖で、北朝鮮の覚せい剤密輸船(と見て間違いない)と銃撃戦を行い、自沈させた。
 いわゆる不審船(ほとんどが麻薬や銃器の密輸船と見られている)の取り締まりも、海上保安庁がやっている。
それなのに、不審船というと、すぐに海上自衛隊と結び付けられ、海自強化のテコとされてきた。今回のソマリア沖海賊対策についても、同様の魂胆ではないのか。
 海賊取締りは、実際、海上保安庁の仕事であり、そのための訓練も行われている。
 同庁のホームページを見ると、今年1月の『海保ニュース』・9に、「官民連携による海賊対策訓練の実施」として、次のような記事がある。
 「(昨年)11月17日及び12月12日の両月、東南アジア公海上において、東南アジアへ派遣中の巡視船しきしまと日本関係船舶及び関係者により海賊対策訓練を実施しました。
 同訓練には、日本関係船舶が海賊船から追跡・接近等を受けた場合を想定した実働訓練を実施し、同船への海上保安官を移乗させ安全確認を行う訓練のほか、官民一体となった情報伝達訓練等を実施しました。」
 実地に訓練をやるくらいだから、情報についても海保はもちろん取り組んでいる。
 そのホームページの「ニュース」には「海賊及び海上武装強盗情報」が載せられ、その末尾には「ソマリア沖での海賊発見状況及び注意喚起について」の記事がある。
 くり返すが、海賊対策は、密輸取り締まりや海難捜索・救助などと並んで海上保安庁の重要な仕事の一つなのだ。

◆“テロ・海賊対策専用”の巡視船「しきしま」
   したがって、その任務が果たせるように、海上保安庁は全国10の管区に1~2隻ずつ、全部で13隻のヘリコプター搭載の巡視船を配備している。  その中でも突出した能力を備えているのが、上記の東南アジア公海上での海賊対策訓練に登場した巡視船「しきしま」だ。

巡視船しきしまの写真
出所:「海上保安庁」のホームページ

 この船は、1992年、イギリス、フランスの核廃棄物再処理工場から日本へのプルトニウムの輸送船を護衛するために建造された船だ。6500トン、コーストガード(沿岸警備隊)の巡視船としては世界最大という。航続距離も2万海里(3万7千キロ)とずばぬけている。
 テロ集団によるプルトニウム略奪に備えての護衛船だから、船体も軍艦構造で造られており、テロ集団や海賊に対しては十分な戦闘能力を備えている。
 レーダー誘導、センサー誘導による精密な対空・対水上射撃も可能で、海賊の小型高速船やヘリによる攻撃にも十分に対処できるという。
 こういう“海賊対策専用”の船を、海上保安庁は持っており、その要員も抱えており、そのための訓練も行ってきているのである。
それなのに、ソマリア沖の海賊対策では専門官庁の海上保安庁を跳び越して、自衛艦派遣に飛びつく。なぜなのか?
 そのために、自衛隊法を拡大解釈して無理を強行する。なぜなのか?

◆“すっ飛ばされた、かんじんな問い
 ソマリア沖にはすでに、欧米や中国など20カ国が軍艦を派遣しているという。だから日本も護衛艦(軍艦)を派遣するのだと言われるかもしれない。
 しかし日本には、海賊取り締りの専門官庁として海上保安庁があり、遠く公海に出てその役目を実行できる船も要員も存在し、実際に公海上で訓練を重ねているのだ。
  したがって、まず検討されなくてはならないのは、海上保安庁の巡視船の派遣でなくてはならない。
 1月24日の朝日の社説も「海賊対策」もこう述べていた。
 「海賊行為は犯罪であり、本来は海上保安庁の仕事だ」
 これは正しい。ところが社説は、続けてこう言うのだ。
 「しかし、日本をはるかに離れたアデン湾で長期間、活動するのは、海上保安庁の装備や態勢では実質的に難しい」
 そこで自衛艦の派遣もやむなし、となるのだが、この社説の筆者は「海上保安庁の装備や態勢」をどこまで調べたのだろうか。
 「海上保安庁には手にあまる。だから自衛艦を」というのは、政府の主張である。
 それに対し、「ちょっと待ってくれ。本当に海保には出来ないのか?」と調査に入り、その結果を伝えるのが、ジャーナリズムの役目ではないのか。
 かんじんの問いをすっ飛ばしてしまうようでは、“権力の監視”などとてもできるとは思えない。                                            (了)

*連絡先:「高文研」のホームページ
梅田 正己(うめだまさき):(書籍編集者。近著『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』他)
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ベストセラー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』と「田母神史観
○○○○年10月7日

 加藤陽子・東大文学部教授の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)が売れている。9月初めの広告では7万部とあったが、10月5日の広告では「10万部突破」と出ていた。
 低価格の新書や文庫でなく、四六判400ページ強、本体価格1700円の歴史書が、発刊わずか2カ月で(奥付の日付は7月30日)10万部をこえたのは、出版不況の今日、稀有の例にちがいない。
 売れるのはもちろん評判がいいからだ。広告には、いま「論壇」で最も登場頻度が高い佐藤優さんの評言が出ていた。
――歴史が「生き物」であることを実感させてくれる名著だ。(「文芸春秋」書評)
 ブログの書評で名高い(らしい)小飼弾さんの感想も出ていた。
――これは、すごい。はじめて「腑に落ちる」日本近現代史を読ませていただいた。
 広告だから当然とはいえ、大絶賛である。これらに誘導され、背中を押されて買い求める人も多いだろう。
 この本は、著者が神奈川県の著名な私立進学校・栄光学園で07〜08年の年末年始に5日間、約20人の高校生を相手に行なった講義がもとになっている。といっても、それから2年半もたって出版されたのだから、本にするに当たっては当然、十分に練り直して書き下ろされたものだろう。

 ◆「9・11」についての「独創的」解釈
 さて、先の評者二人は大絶賛だったが、私は巻頭、読み始めたとたんに引っかかってしまった。
 序章は、小見出し「9・11テロの意味」から始まる。こう書かれている。
 《2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロの衝撃に接したとき、人々は、テロを「かつてなかった戦争」と呼んで、まず、その新しい戦争の形態上の特質、つまり「かたち」に注目しました。》
 そうだったろうか? あのツインタワービルの崩壊を見て、人々は「新しいかたちの戦争」が始まったと思ったのだったろうか?
 そんなことはなかろう。著者自身も自ら書いている通り、あの事件は広く「同時多発テロ」と呼ばれた。今もそう呼ばれている。
 その「テロ」行為を「戦争」と見なし、「テロとの戦い」「対テロ戦争」を呼号したのはブッシュ大統領だった。それにいち早く呼応したのがわが小泉首相で、わずか18日間の国会審議で「テロ対策特措法」を成立させたのだ(それによって始まったインド洋での無料給油活動は今も続いている)。
 あれからまだ8年しかたっていない。それなのにこの歴史学者は、根拠(典拠)も示さずに、これまで聞いたこともない新説(珍説)を披露した上で、次のようにこれまた珍しい自説を展開する。
 《このテロは……国内にいる無法者が、なんの罪もない善意の市民を皆殺しにした事件であり、ということは、国家権力によって鎮圧されてよい対象とみなされる。》
 したがって――
 《9・11の場合におけるアメリカの感覚は、戦争の相手を打ち負かすという感覚よりは、国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンスだったように思います。》
 ブッシュ政権の対応は、「国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンス」だったというのである。
 そこでブッシュ政権は「警察官」のスタンスで、「犯罪者」をかくまうタリバンを攻撃したというのだろうが、だったらどうしてアフガニスタンに対し、B52戦略爆撃機まで繰り出して高性能爆弾の雨を降らせ、タリバンのみならずアフガン全体をまるごと石器時代に突き落とすような空爆を続けたのだろうか。
 警官はつねに「過剰防衛」を問われる。だから武力の行使には、自制がはたらく。
アフガンに対するあれほどまでの国土破壊は、どう見ても「警察官」のしわざではない。「戦争」だからやった、「戦争」と見なしたからやったのである。「軍隊」だから、無制限の武力行使を行なったのである。
 加藤説は、明らかに事実にそぐわない。それなのにこんな無理な説をごり押ししてきたのは、次のように言いたかったためである(傍線は筆者、以下同)。
 《そうなると、戦いの相手を、戦争の相手、当事者として認めないような感覚に陥っていくのではないでしょうか。》
つまりブッシュ政権は、テロをやった者たちを「鎮圧」の対象、「取締り」の対象ととらえた。したがって「戦争の相手」とは認めない。そういう心理状態に落ち込んだのではないだろうか、と診断したわけである。
 その上で、教授はこう高校生に尋ねる。
 《実は、このアメリカの話と似たようなことが、かつての日本でも起きていたのです。なんのことかわかりますか。》
 もちろん、わかるはずはない。専門家だってわかるまい。
 加藤教授の答えは、日中全面戦争中の「1938年1月16日、近衛内閣が発した声明『爾後、国民政府を対手(相手)とせず』」である。
 つまり、日中戦争で近衛内閣が、蒋介石の国民政府に対し、「もはや戦争の相手として認めない」と言ったのが、9・11でブッシュ政権がとった態度と同じだというのである。
 以上のように述べた上で、歴史学者・加藤教授はこう結論する。
 《時代も背景も異なる二つの戦争をくらべることで、30年代の日本、現代のアメリカという、一見、全く異なるはずの国家に共通する底の部分が見えてくる。》
 《歴史の面白さの真髄は、このような比較と相対化にあるといえます。》
 なるほど、これが言いたかったわけだ。

近衛声明「国民政府を対手とせず」をめぐる珍説
 要するに、同時多発テロが「かつてなかった戦争」と受けとめられたという新説も、この結論に持ってくるための前提だったのである。
 しかしその新説は、その後の事実経過に反するし、論証もあやふやな珍説だった。
 同様に、この近衛内閣の声明についても、加藤教授は独自の見解の持ち主である。
 教授はこう書いている。
 《日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた》
 《相手が悪いことをしたのだから武力行使をしたのは当然で、しかもその武力行使を、あたかも警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていた》
 この近衛声明が出されたのは、先述のように1938(昭和13)年1月16日である。
 前月、つまり37年12月の13日、日本軍は当時の国民政府の首都・南京を陥落させた。その攻略戦の最中、そして占領後、日本軍は「南京大虐殺」を引き起こす。
 近衛声明は、その「大虐殺」が続行しているなかで発せられたのである。
 加藤教授が言うように、日本軍が「これは戦争ではない」という感覚を持っていたとしたら、兵士たちはいったいどんな感覚で「大虐殺」を行なったのだろうか?
 また「警察が悪い人を取り締まるかのような感覚」でいた日本軍が、どうしてあのような非道・残虐なことができたのだろうか?
 日本が当時の国民政府を「戦争の相手」として認めていなかったというのは、とんでもないでたらめである。
 その証拠に、37年7月7日、盧溝橋事件が発生してから、近衛内閣は一方で戦争を続けながら、もう一方では「和平工作」を模索してきた。蒋介石を「戦争の相手」と認めないのに、蒋介石を相手に和平工作をすることなどあり得ないだろう。
 和平工作としては、中国通の元外交官・船津辰一郎を使者にしての「船津工作」と、ドイツの駐中国大使・トラウトマンに依頼しての「トラウトマン工作」が知られている。
 このトラウトマン工作は、一時はうまくいきそうになる。しかし、日本側が条件を引き上げたため、不成立に終わった。日本がドイツ政府に対してトラウトマン工作の打ち切りを通告したのは、近衛声明の発表と同じ日であった。
 日本が和平工作を打ち切ったのは、戦況が、大苦戦した上海戦(戦死者9千人超)から南京攻略戦へと好転したため和平の条件を引き上げたのと、また蒋介石の国民政府に対抗できそうな傀儡政権をいくつも立ち上げていたからである。
 関東軍は37年11月、満州に隣接する内蒙古に、この地域を管轄する「蒙疆連合委員会」を設立。
 華北を作戦範囲とする北支那方面軍は、同年12月、北京に「中華民国臨時政府」を発足させた。
 華中を受け持つ中支那方面軍も、それに負けじと翌38年3月、南京に「中華民国維新政府」をつくりあげる。
 こうした経過・背景があって、近衛声明は出されたのである。その原文は、以上の経過を前提にするとよくわかる。
 「帝国政府は爾後(じご)国民政府を対手(相手)とせず、帝国の真に提携するに足る新興政府の成立発展を期待し、是(これ)と両国国交を調整し、更生新支那の建設に協力せんとす。」
 近衛内閣が「国民政府を相手とせず」と言ったのは、「日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた」からでも、また「警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていた」からでもない。
 戦争に勝利できるとの確信を深めたこと(これが大間違いであったが)とあわせて、蒋介石の国民政府に取って代わる傀儡政権樹立の手ごたえを得ており(新興政府の成立発展を期待)、それと手を組むことで、日本の息のかかった新しい中国が作れる(更生新支那の建設)と考えたからこそ、「もう国民政府に用はない」「国民政府を対手とせず」と言い放ったのである。
 以上の私の日中戦争についての記述は、藤原彰さんの『日中全面戦争』(昭和の歴史⑤、小学館)に拠っている。
 加藤教授の専攻は、本書によると「1930年代の外交と軍事」だそうだ。
 1938年の近衛声明は、まさにそこに該当する。それなのに、その政治的モチーフの説明が日本の政府・軍の指導者の「感覚」だけ片付けられていいのだろうか。
 こういう歴史解釈を、同じ現代史家はどう見ているのだろうか。

 ◆立ち昇る「田母神史観」と共通する臭気
 という次第で、私は冒頭で引っかかってしまったが、実はそれより先に、書名に引っかかっていた。
 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という書名である。
本のオビには《普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?》とある。
 「世界最高の頭脳たち」とは、だれたちのことを言っているのか、先を読んでいないからわからないが、このキャッチコピーで連想するのが、田母神・前空幕長が書いた論文「日本は侵略国家であったのか」である。
 その中の論点に、次のようなのがあった。
 「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」
 「日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになった。」
 要するに、日中戦争も、太平洋戦争も、日本は相手国に引きずり込まれて突入したもので、日本は「被害者」だ、というのである。したがって結論は、「日本は侵略国家ではなかった」となる。
 加藤教授の本の書名からも、同趣旨の主張が臭ってくる。
 ――日本は戦争をしたくなかった。しかし、いかんともしがたく、やむにやまれず、戦争への道を選ばずにはおれなかったのだ、と。
 田母神氏は、いまや時代の寵児である。講演依頼が引きもきらないらしい。著書も(共著を含め)10冊近くを出版している。
 加藤氏の本も、たちまちベストセラーへの坂を駆け上がっていった。
 この国の「歴史」に対する「教養」の内実、中学・高校での「歴史教育」のありようを、今こそ根底から問い直さなくてはならないのではないか。
 歴史学研究者をはじめ、学校での歴史教育の担当者、歴史書の編集者・出版者は、そのことを「職業的義務」として自らに課すべきではないか。
 そんな気がしてならない。     〈了〉

*連絡先:「高文研」のホームページ
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再々ソマリア沖自衛艦派遣問題
―今からでも遅くない メディアは海上保安庁の取材を!

自分の目と耳で確かめた報道を!
 3月14日、海上自衛隊の護衛艦2隻、「さざなみ」「さみだれ」が、麻生首相の激励を受け、海自呉基地を出航した。
 新法が間にあわず、自衛隊法に定める「海上警備行動」の法治国家にあるまじき拡大解釈による派遣である。
 翌15日のTBSサンデーモーニングで、さっそくこの問題が取り上げられた。聞き流しなので正確ではないが、コメンテーターのみなさんはだいたいこんな意見だった。
 ――国会でまともな議論がほとんどないままに、こういう重大なことが決定され、実行されてゆくのはきわめて危険だ。
 ――中国の軍艦も出てゆくのだから日本も、という気持ちは無理からぬとは思うが、それならもっと言葉を尽くして説明すべきだ。
 それはいいとして、私が注目したのは、この問題の発端となった国会での質疑の場面がほんのわずかだがテレビ画面に映されたことだ。
 昨年10月、民主党の議員が、ソマリア沖海賊問題について、海上保安庁長官に海保としての取り組みをたずねた。
 それに対し、長官は、「ソマリア沖まで派遣できる船は海保にはない」と答弁した。
 このひと言によって、海保は対策の枠組みからオミットされ、問題は海自の軍艦派遣にしぼられたのだ。
 海保長官がこういう答弁をしたのは、私も知っていた。ただし、知ったのはつい1週間前のことだ。
 3月8日の朝日新聞「オピニオン」欄に、日本船主協会常務理事の半田収氏の投稿がのっていた。同氏は、協会が昨年10月、国交相にたいし安全対策の要望書を提出したことを述べた後、こう書いていた。
 「私たちは初めから海上自衛隊の艦艇の派遣を主張していたわけではありません。公海上での犯罪行為に対する海上警備・警察権の行使ということで第一義的には海上保安庁の管轄と考えていました。
 ところが、海上保安庁長官が国会で、遠方への派遣に耐えられる船は海保には1隻しかないこと、各国が軍艦を出しているところに日本だけが軽装備の警備艇を出すわけにはいかないことなどから、海上保安庁の艦船を派遣するのは困難であると答弁された一方、海上警備行動の範囲内であれば現行法の下でも海自艦の派遣が可能であると聞き及び、今年1月、麻生首相と浜田防衛相に海自艦の即時派遣を要請したのです」
 文中、海保長官が、派遣できる船は1隻しかないといっているのは、前々回のこのコラムで紹介した巡視船としては世界最大の6000トン級「しきしま」のことだ。しかしこのほかにも海保は、3000トン級、2000トン級の巡視船を何隻も保有している。
 しんぶん赤旗の連載記事「ソマリア沖派兵を問う」の第1回(2月15日)の冒頭に、海保の元幹部のこんな声が引かれていた。
 《「日本は憲法9条を持った国だ。その枠組みのなかで海上保安庁は戦後、命がけでやってきた。今、論議されているのは、海保派遣の主張を孤立無援にし、『行け、自衛隊』だ」――長年、海上保安庁で働いてきた元幹部は嘆きます。》
 第二次大戦後、海上保安庁の仕事は、大戦末期、米軍が日本の港湾に敷設した機雷を除去することから始まった。島国日本にあって、海の安全確保に取り組んできた海上保安庁職員の実感として、「命がけ」というのはけっして誇張ではなかろう。
 前々回、前回で紹介したように、日本の海上保安庁は東南アジアの海賊対策に国際的に取り組み、めざましい実績を挙げてきた。マラッカ海峡の海賊問題も、これでほぼ解決できた。
 マラッカ海峡からインド洋を越えれば、そこがソマリア沖だ。東南アジアで出来たことが、なんでソマリア沖では出来ないのか?
 「海賊対策は第一義的には海上保安庁の仕事だ」と、麻生首相も明言している。そして海保は、現実に国際的な海賊対策で立派な実績を積んできている。  それなのに、国会で答弁に立った海上保安庁長官のひと言で、任務からはずされてしまった。
 海保のホームページを見れば、海保が東南アジアでどんな海賊対策をやってきたかがわかる。質問に立った民主党議員は、海保長官の他人事のような答弁に対して、なんでもう一歩突っ込めなかったのか。国会の質疑として、あまりに軽すぎはしないか。
 議員だけではない。メディアの新聞記者や放送記者はどうしていたのか?
 聞かなかったのだろうか、とも思ったが、サンデーモーニングを見ると、ちゃんと「絵」は撮ってあったのだ。
 長官の答弁を、聞くことは聞いたのだろう。しかし何の疑問も抱かず、したがって海上保安庁に行って自分の目と耳で確かめることをしなかったのだ。
 自衛艦は出航した。しかし、今からでも遅くはない。海賊対策についての海上保安庁の実績と能力を取材し、検証して、それをきちんと報道してほしい。
 そうすることが、今回のように法律の一方的な拡大解釈を許し、ほとんど実質的議論もないままに自衛隊の海外出動を黙認するという不愉快な事態を繰り返すのを防ぐことになるからだ。
 メディアの役割は、出来事の結果を報道することだけではない。
 何でそんなことが起ったのか、その原因を追究し、検証することこそ、たんなる結果報道以上に大切なのである。

◆【追記】日本がイニシアティブをとった東南アジア海上保安協力
 ソマリア沖海賊対策の問題で上記のように書いた後、2月20日付けの朝日新聞に、日本の海上保安庁がマニラ湾でフィリピンの沿岸警備隊と海賊取り締まりの合同訓練をやっている写真と記事が掲載された。
 写真のキャプションにはこう書かれている。
「海賊役の男たちを制圧するフィリピン沿岸警備隊の特殊部隊員。後ろの船は海上保安庁の巡視船=マニラ、松井写す」
 ちなみに、記事の全文は「asahi.com」でご覧いただければ幸いである。
 この松井記者の記事では、フィリピン海域で毎年60件以上の被害が出ているというが、『世界』3月号の前田哲男さんの「海賊対策にはソフト・パワーを」によると、IBM(国際海事局)の統計では、2000年当時、世界の過半数を占めた東南アジアの海賊発生件数(262件)は、08年、インドネシア海域で28件と9割減、マラッカ海峡(80件)での発生はわずか2件にまで激減したという。
   そして、「このめざましい成功の基礎には、情報共有センター設置や日本のODAによる巡視艇提供、共同訓練・哨戒など、たゆみない『海保外交』、ソフトパワーによる海賊抑止の努力がある」として、前田さんは日本の海上保安庁の活動をこう評価している。
 「日本は海上保安協力を通じ、海上警察の執行機関として重要な国際貢献を果たしてきた。」
 日本の海上保安庁は海賊対策において、国際的にもこのような活動実績を持っている。
 それなのに、ソマリア沖海賊問題が持ち上がると、ただちに「自衛艦派遣」問題に置きかえ、専門官庁である海上保安庁を頭から疎外してかえりみないというのはどういうことか。
 ソマリア沖には確かに各国の軍艦が出動している。しかし、海賊取り締まりははたして軍艦の役割なのか? また、各国の軍艦が自国の船だけを保護するということでいいのか?
 日本も参加して、アジア海域で積み上げてきた海上保安協力の実績が、ソマリア沖では生かせないのか――?
 こうした問題を残したまま、自衛艦の派遣は決まり、3月には出航する。 かくて、自衛隊海外出動の「実績」がまた一つ積み上がる。(了) 

*連絡先:「高文研」のホームページ
梅田 正己(うめだまさき):(書籍編集者。近著『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』他)
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新聞への期待と失望―年頭の新聞を読んで

◆「対米従属」再検討のチャンスを見送った新聞各紙
  「チェンジ!」「イエス、ウイ、キャン!」を合い言葉にオバマは大統領選に勝利した。
 新年とともに、米国は「オバマの時代」に入る。アメリカは今まさに変わろうとしている。
 この米国の政策転換は、日本にとっても、方針転換のまたとないチャンスである。
 1945年、第二次大戦で敗北し、米国の占領下で戦後を踏み出した日本は、以後63年、米国の傘の下で生きてきた。とくに、日米安保体制を軸にした安保・外交面では、米国に依存し、米国に引きずられてきた。
 国際関係の上で、日本の「戦後」をひと言でいうなら、「対米従属の時代」だったといえる。
 ところがその米国が、冷戦後の単独行動主義によって自滅し、新たな指導者を立てて、新たな進路を探ろうとしている。
 当然、日本も、これまでの「対米追随・従属」の安保・外交方針を根底から見直し、完全な独立国としての国際的自立の道を確立していかねばならない。今がその絶好のチャンスである。
 したがって、冷戦後最大の転機を迎えて、新年第一日目の新聞各紙では、アメリカの政治的・経済的指導力の崩壊の下、日本のとるべき針路をめぐって全力で取り組んだリポート・提言・議論が提供されるものと思っていた。
 しかし残念ながら、朝日、読売、毎日、産経、東京の5紙を見た限り、そうした強い問題意識にささえられた記事は見ることが出来なかった。
 国のあり方の根幹にかかわる「対米従属関係」を再検討すべき絶好のチャンスを与えられながら、全国紙各紙はそろってそのチャンスをあっさり見送ったのである。
御厨東大教授の「乗り越えるべき戦後」とは
 そう思っていたところ、1月3日の朝日新聞「私の視点」欄に、日頃の5割増しのスペースで、御厨 貴・東大教授(政治学)の寄稿「今年の選択――『戦後』乗り越える強い首相を」が掲載された。
 表題にあるとおり、いかにして「戦後」を乗り越えるか、つまり終焉させるか、それが日本の政治が当面する最大の目的であり、そのためには強い首相の出現が必要だというのがその論旨だ。
 御厨氏はまず、「1945年に始まる長い期間、政治の世界では早くから脱“戦後”のかけ声がかけられていた。だがいずれも実体を伴わずに消えてしまう」として、吉田茂以後、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘等の歴代首相から最近の小泉、安倍、福田、麻生までを振り返り、いずれも「戦後」を転換させようとしたができなかったと言う。
 日本の政治にとって「戦後」の超克は、いわば歴史的な課題だというわけだ。
 したがって、今年予定されている総選挙は、「戦後」を終わらせるための総選挙であり、「今年こそは“戦後”の終わりの始まりと認識すべきだ」と、御厨氏は力説する。
 では、御厨氏の言う「戦後」とは、何を指しているのだろうか。
ここまでの私の短い紹介ではわからない、と殆んどの人が言うだろう。
 いや、全文を読んでもわからないのだ。終わりのほうに「“強い首相”と“機能する国会”」とか、「もろもろの政治慣習から解き放たれ、原点からコトを考える」とか、「“戦後”を自覚的にリセットし、政治の新たな飛翔を可能にする」といった人目を引く言葉は羅列されているものの、かんじんの「戦後」については定義はおろか何の説明もないのだ。
 ところが、最後の一節にいたって、疑問は氷解する。こういう文章だ。
 「そして、逆説的だが、“戦後”から解放されて初めて、戦後憲法の改正が現実の日程に上ってくるに違いない。」(赤字は筆者)
 何のことはない。御厨氏の「戦後」とは、日本国憲法の価値基軸によって構成される社会体制のことであり、「戦後を乗り越える」とは「戦後憲法」(日本国憲法)を改変することだったのだ。
 こういう主張を、東大教授の政治学者が書き、それを朝日新聞が年頭の「opinion=私の視点」欄に掲げる。
 オバマの登場を日本の安保・外交政策転換の好機ととらえ、そのための議論を巻き起こすリーダーシップを新聞に期待した私は、やはり世間知らずのお人好しだったようだ。(了)

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前田哲男氏の緊急提言『「従属」から「自立」へ―日米安保を変える』 を火付け役に、今こそ国民的議論を
○○○○年7月6日

◆ 衆議院の解散はいつにするか、8月か、9月か、いや10月まで持ち込む手もありそうだ……。
 100年に1度の経済危機の渦中に投げ込まれ、世界最大の企業GMが倒産、国有化されたというのに、日本の政界はこんな内向きのせこい話ばかり。
 アメリカの直面する状況は大変ですが、それでも「チェンジ」のオバマ政権が登場しただけに、まだ希望が託せるといえます。実際、プラハ演説では核軍縮に踏みだす意思を表明しました。
 問題は日本です。この大転換期を迎えたというのに、何の方向性も打ち出せない。
 アメリカが追いつめられた直接の要因は、アフガン戦争とイラク戦争の泥沼化でした。
それはつまり軍事力を振りかざしたアメリカの覇権主義が立ちいかなくなったことを意味します。 そしてこのアメリカの命取りにもつながりかねない失敗により、安全保障についての考え方、安保のあり方が、いまや根底から変わろうとしているのです。
 それなのに日本政府は、ヒラリー・クリントン新国務長官の訪日を迎えたさいも(2月)「日米安保の堅持」「日米同盟の強化」を念仏のように唱えただけです。
 振り返ると、1950年、マッカーサー指令により日本が再軍備に踏みだして以降、自衛隊は一貫してアメリカに育てられ、戦略をはじめ装備から訓練まですべて米軍に指導されてきました。
 冷戦後も、1991年の湾岸戦争以後、アメリカに追従し、アメリカに突き動かされて自衛隊を海外に送り出すことだけに躍起になってきました。
 しかしその「先生」のアメリカがつまずき、もののみごとに転倒したのです。「先生」は不在となりました。
 日本もいまや「自前の思考」によって、21世紀にふさわしい安全保障の方向をつくり出さなくてはなくてはならなくなったのです。
 それにはまず、60年来つづいてきたアメリカへの従属を断たなくてはなりません。
 先ごろ調印した「グアム協定」によって、外国(アメリカ)の領土に、外国軍人の住宅などを建ててやるため60億ドル(約6000億円)もの日本国民の血税を注ぎ込むような、ありうべからざる愚行を止めなければなりません。
 つまり、日米安保条約を軸とする日米の従属関係を変えなくてはならないのです。
 では、どこから、どう変えてゆくのか。
 “巨人”アメリカに対して、何を、どう要求してゆくのか。
 そのことを具体的に、筋道だてて説いたのが、本書『「従属」から「自立」へ・日米安保を変える』です。
 実は今から20年前、やはり世界が大転換期に突入し、日米従属関係を変革するチャンスを迎えたことがありました。
 1989年、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ両国首脳がマルタ島で冷戦の終結を宣言したときです。
 1951年、冷戦を前提に、ソ連を仮想敵として結ばれた日米安保条約は、冷戦が終われば、当然、解消されるはずのものでした。
 しかし、日米安保は解消されませんでした。解消どころか、逆に強化されて、それまでは一歩も国外に出ることのなかった自衛隊が容易に海外へ出て行くようになり、遂には戦争中の外国(アフガン、イラク)にまで出かけるにいたったのです。
 冷戦が終わったとき、なぜ日本はアメリカへの従属関係から脱却し、主体的な安全保障の道を構想し、政策化できなかったのか。
 理由は、政府・与党はもとより、野党も含め、それに主体的に立ち向かう構え(姿勢)が欠如していたこと、したがってその思考を放棄していたこと、だから当然そのための政策準備もまったくなかったからです。
 いままた、世界史的な大転換期を迎えました。再び20年前の失敗を繰り返してはなりません。
 アジアの一国として、憲法9条をもつ国として、何よりも一個の独立した主権国家として、独自の安保・外交政策をどう構築するか、そのことが国民的課題として私たちに突きつけられているのだと思います。
 この課題は、もちろん直接国政をになう政党が取り組まなくてはならない課題です。
 しかし残念ながら、政党はあのような有様、自民党は「政局」で踊っているばかりです。政党に希望を託しているだけでは、夜は明けないでしょう。
 自覚的な市民の間から議論を起こし、それをマスメディアに反映させて、国民的議論へとつなげてゆくことが必要です。
 そのための「議論の火付け役」となるのが、1960年代から半世紀、自衛隊や在日米軍を取材し、安保のあり方について考察を続けてきた前田哲男氏による本書『「従属」から「自立」へ・日米安保を変える』です。
 本書の終章には、次のような「日米安保を変える」手立てが具体的に述べられています。
◆ 「安保白書」の作成――安保に関する情報の公開
◆ 対米協議を申し入れる
◆ 「思いやり予算」の打ち切り
◆ 「米軍再編」の見なおし協議
◆ 日米地位協定の改定
◆ 日本も「対米カード」を準備する
◆ 「平和基本法」の制定
 アメリカは超大国です。あの原子力空母のように巨大です。
しかし、アフガンやイラクで見たように、また今回の金融危機で見たように、実態はもろく、病んでいます。
 そうした状況を「チェンジ」するために、オバマ大統領が登場したのです。 ゆがんだ二国間関係・従属関係をただすには、これ以上はないとも言える絶好のチャンスです。
 にもかかわらず、20年前と同様にずるずると従属関係を引きずってしまったとしたら、あのマッカーサーが指摘したとおり、日本国民の政治的成熟度はいまなお「12歳の子供」にとどまっていると言わざるを得ないでしょう。[了]

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続・ソマリア沖自衛艦派遣問題【追記】
―日本がイニシアティブをとった東南アジア海上保安協力

海上保安庁の 海賊対策の実績
 ソマリア沖海賊対策の問題で前記のように書いた後、2月20日付けの朝日新聞に、日本の海上保安庁がマニラ湾でフィリピンの沿岸警備隊と海賊取り締まりの合同訓練をやっている写真と記事が掲載された。
 写真のキャプションにはこう書かれている。
「海賊役の男たちを制圧するフィリピン沿岸警備隊の特殊部隊員。後ろの船は海上保安庁の巡視船=マニラ、松井写す」
 ちなみに、記事の全文は「asahi.com」でご覧いただければ幸いである。
 この松井記者の記事では、フィリピン海域で毎年60件以上の被害が出ているというが、『世界』3月号の前田哲男さんの「海賊対策にはソフト・パワーを」によると、IBM(国際海事局)の統計では、2000年当時、世界の過半数を占めた東南アジアの海賊発生件数(262件)は、08年、インドネシア海域で28件と9割減、マラッカ海峡(80件)での発生はわずか2件にまで激減したという。
   そして、「このめざましい成功の基礎には、情報共有センター設置や日本のODAによる巡視艇提供、共同訓練・哨戒など、たゆみない『海保外交』、ソフトパワーによる海賊抑止の努力がある」として、前田さんは日本の海上保安庁の活動をこう評価している。
 「日本は海上保安協力を通じ、海上警察の執行機関として重要な国際貢献を果たしてきた。」
 日本の海上保安庁は海賊対策において、国際的にもこのような活動実績を持っている。
 それなのに、ソマリア沖海賊問題が持ち上がると、ただちに「自衛艦派遣」問題に置きかえ、専門官庁である海上保安庁を頭から疎外してかえりみないというのはどういうことか。
 ソマリア沖には確かに各国の軍艦が出動している。しかし、海賊取り締まりははたして軍艦の役割なのか? また、各国の軍艦が自国の船だけを保護するということでいいのか?
 日本も参加して、アジア海域で積み上げてきた海上保安協力の実績が、ソマリア沖では生かせないのか――?
 こうした問題を残したまま、自衛艦の派遣は決まり、3月には出航する。 かくて、自衛隊海外出動の「実績」がまた一つ積み上がる。             (了) 

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米国知日派の「恫喝」
―M・グリーン米戦略国際問題研究所・日本部長の意見を読む
○○○○年9月1日

総選挙の2日前、8月28日の朝日新聞に、「インタビュー/アメリカから見る」として、米戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長のマイケル・グリーンの意見がほぼ半ページを使って紹介された(聞き手は伊藤宏記者)。
M・グリーンは、クリントン政権時代も国防総省の日本問題コンサルタントを務め、ブッシュ政権ではホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)日本・韓国部長を務めた米国有数の知日派として知られる。
その知日派が、今回の総選挙と、そして選挙後をどう見ているかを語った記事だ。
冒頭はこう始まる。
《今回の総選挙で、日本外交や日米同盟が根本的に変わるとは思わない。基本的な流れは続いていくと思う。》
つまり、民主党は「米国と対等な関係に立つ」と言っているが、今の日米関係を変えられるはずはないだろう、と言っているわけだ。
そして、こう続ける。
《ただ、もし民主党が勝利し、彼らが党内の安全保障や外交上の見解の違いを解決できなければ、日本政府は機能不全に陥り、国際社会も日本を重視しない、という事態になるかもしれない。》
表現は遠まわしの言い方になっているが、要するに政権を取った民主党がこれまでの日米関係を変えようとすれば、日本政府は立ち往生状態となり、国際社会(つまりアメリカ)は日本を見捨てることになるだろう、と言っているのだ。
こういう言い方を、日本語では「恫喝」というのではなかったか?
これが決して深読みでないことは、インタビューの後半を読むとハッキリする。
《仮に民主党が政権を取った場合、気になるのは、アフガン、パキスタン、および中東政策だ。……もし海上自衛隊がインド洋の給油活動から撤退すれば、この地域の国々は、日本をこれまでのように重視しなくなるだろう。目に見える貢献をしなくては、影響力は低下する。……民主党は意思決定をする前に、米国だけでなく、世界の主要国に意見を聞いてから決断すべきだ。》
引用の最後で、「世界の主要国に意見を聞いてから」と付け加えているが、これは付け足しで、米国の意見を聞かないで決めたりするのは許せないぞ、と言っているのである。
さて問題の給油活動だ。
これがはたしてアフガン問題の解決にどれだけ役立っているか、日本政府も、そして米国政府も、ひと言も語っていない。
「貢献」の実態を検証もせず、したがって説明することもできず、「撤退すれば、この地域の国々から日本は見放されるだろう」と言っているのだ。
これも、「恫喝」ではないか?
グリーンはまた、「目に見える貢献をしなくては影響力は低下する」と言っている。
アフガニスタンは内陸国だ。だから、海上自衛隊がインド洋で給油活動を始めてから数年間は、アフガン国民の殆どはその日本による「貢献」を知らなかった。
カルザイ大統領でさえそのことを知らなかった、というのは、アフガンで国連のスタッフとして軍閥の武装解除の指揮をとった伊勢崎賢治氏(現東京外語大教授)が語って以来広まった有名な話だ。
アフガン現地では、海自の給油活動は知られていなかったが、武装解除のために武器を買い上げる資金等は日本が提供したこと、またペシャワールの会の中村哲医師をはじめ日本のNGOの活動はよく知られていた。アフガンの人々にとっては、これらこそ「目に見える貢献」だったのだ。
それなのにグリーンは、こうした事実を知ってか知らないでか、給油活動をさして「目に見える貢献」だと言う。政治的作為の発言でないとすれば、マンガである。
次にまた、グリーンはこうも言う。
《仮に民主党が政権を取った場合……まずは官僚の言うことに耳を傾けることだ。……日本では官僚機構が、おおむね8割がたの情報を持っている。もし、そうした情報なしに、民主党が「沖縄政策を変える」「インド洋から撤退する」などと言ったら、本当に後悔することになる。》
ここまでくると、もう百パーセントお里が知れてしまうことになる。
ここで言っている「官僚機構」とは、もちろん外務省と防衛省の官僚のことだ。
日本の外務省は、米国国務省の出先機関ともいえるほど、米国に付き従ってきた。国連総会での投票行動ひとつとってもそのことは明瞭だ。
日本の官僚の最高ポストは事務次官ということになっているが、外務省だけはそうでない。外務次官の上に、駐米大使があるのだ。不平等この上ない日米地位協定の改定要求は強まる一方だが、外務省はあくまで運用で対応すると言い張り、そのためのマニュアルまで極秘に作っている。
一方の防衛省の米国追随は説明するまでもない。自衛隊はもともと米国の指示で設立され、米軍の指導で増強されてきた。今も、米国主導のもとで日米軍事同盟の強化に向かって突き進んでいる。
このようにアメリカによって育てられ、指導されてきた官僚たちの意見を、民主党のみなさんはよく聞くんだよ、とマイケル・グリーンは言っているのである。
そしてもし、官僚たちの意見を聞かずに「『沖縄政策を変える』などと言ったら、本当に後悔することになる」ぞと脅しているのである。
インタビューの最後は、その沖縄問題、米軍再編の問題になる。グリーンはこう言っている。
《特に、米軍普天間飛行場の移設計画を変更すると言ったら、沖縄に駐留する米海兵隊のグアムへの移転も止まることになる。》
《いったん計画が止まれば、計画自体がばらばらになってしまうだろう。だから民主党にとって、現行の沖縄に関する政策の実現を延期、あるいは中止することは、非常に危険なことだ。》
注目すべきなのは、この結びの言葉――「沖縄に関する政策」を変更することは「非常に危険なことだ」という断定である。
では、「危険だ」というのは、だれにとって危険なのだろうか?
答えは引用文中に示されている。「民主党にとって」「非常に危険」なのである。
つまり、沖縄政策を変えたりしたら、民主党(の日本)がどうなるか知らないぞ、とこの米国の対日政策に深く関与している人物は言い放ったのである。
ここへ来て、はじめは曖昧な表現にくるまれていた「恫喝」が、いっきょにむき出しになった。
マイケル・グリーンは、新聞によると現在48歳だが、今から4年前の44歳のときに同じ朝日新聞の「新戦略を求めて」というシリーズのインタビュー記事に登場している(聞き手は加藤洋一アメリカ総局長)。
その中に、率直簡明、これぞアメリカ、と絶句させられるような発言があった。
「米国のアジア太平洋に対する地域戦略は」という問いに対してのグリーンの答えはこうであった。
《常に他国よりも優位であり、我々が信奉する価値を広めたい。いわば、米国優位のもとにある多国間主義だ。》
他国の意見にいっさい耳を貸さず、ユニラテラリズム(一国主義)でイラク戦争を仕掛け、ものの見事に失敗した後だけに、さすがに多国間主義(マルチラテラリズム)とは言っているものの、アメリカ人ならではの覇権主義、独善主義を恥ずかしげもなくさらけ出している。
政権の座に着いた民主党に対して、米国はこの覇権主義、独善主義を持って米軍再編の実行=日米軍事同盟の強化を迫ってくるだろう。
「米国と対等な関係に立つ」とマニフェストした民主党はこれにどう立ち向かうのか。
さる8月23日のテレビ朝日の報道番組で、鳩山代表は、オバマ大統領との首脳会談には「覚悟をもって臨む」と発言した。
たいへん結構だ。米国は、なぜ自国から遠く離れたアジアに軍事基地を置き続けなければならないのか、なぜ他国よりも優位に立ち続けなければならないのか、そうした根本問題にまで踏み込んで、「覚悟をもって」米国の覇権主義、独善主義を問いただしてほしい。
米国との「対等な関係」はそこからしか生まれてはこない。  (了)

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