辛さんの講演要旨は次の通り。



■マイノリティを意識せぬ「男」

 

私は、東京生まれ東京育ち、三代続く江戸っ子です。本職は企業内研修を受ける会社を経営しています。年間約200本の仕事で会うのは大半が男です。あとは地方自治体や学校、NPOやNGOの講演などが年間約100本。札幌の短大でも授業していますが、年中あっちこっちに行ったり来たりしています。

 

日本の社会で本当に変わったのは、特に女です。ちょっと変わったのが男でしょうか。力のある男はちょっと変な方向に行っていますが。

 

講演に行っても、「ハイ、ハイ」と手を挙げるのは女の方です。中学生でも、女の子の方が「男女平等って」とどんどん声を出してきます。今は政治の時代ですから、中学生の女の子に「右翼と左翼ってどう違うの」という質問もされました。皆さん、答えられますか。私は「右翼はバカでもななれるけど、左翼は勉強しなきゃなれないよ」と答えました(笑)。

 

一方で、男の子は全く手が上がらない。質問したことが分からなかったというのはバカなことだと感じている。質問するならでかい質問をしなければ、と思っているのです。身の回りの具体的な質問は女子供がやることだってね。

 

私は男子高校を回って10校中7、8校で同じ質問をされます。進路や差別、就職活動に関する講演を行っている時にです。何だと思いますか。

 

それは、「日本が好きですか」という質問なのです。私が行くのは、比較的偏差値の高い学校ですが、私が日本人らしくない名前で、彼らにすると初めて見る生意気な女なのでしょう。そこで私は「あなたの言っている日本とは政治、文化、それとも?」と聞き返してやります。すると、彼らは「日本人は好きですか」と聞き返してくる。そしたら私は「日本人の中にアイヌ民族、沖縄の人、父親と母親の国籍の違う人、同性愛の人、ハンディキャップを持っている人・・・は含まれるの? 女は含まれるのかい」と聞いてやるのです。

 

全く、彼らは大人をバカにしているのです。健康な異性愛の男を中心に考えているのです。マイノリティのことは意識の中に入っていない。多様性というのが入っていないのです。

 

それでも悔しくてたまらない男の子は、「日韓が戦争になったらどちらにつきますか」と聞いてきた。そこで私は「辛さんはどっちにつくと思いますか」と逆に聞いてみました。それが、学校によって全く違う。女子校や共学校は1割が韓国、1割が日本、8割が分からないというのでほぼ同じ。でも、男子校では7割が韓国、二割が日本、1割が分からない−。男は、国家という枠の中に見事にはめ込んでいるのです。それに対して私は「日韓が戦争になったら、一番初めに殺されるのが私です」と答えます。

 

そこで私は高校生に、「自分のおじいさんやおばあさんの人生について一時間でもいいから話を聞いたことがあるか」と質問します。しかし、これまで、おじいさん、おばあさんの話に耳を傾けた子供に一人も会ったことがありません。彼らが言っていることは、すべて机上の空論であり、テレビやゲームの中から人間というものを考えているのです。

 

■「紅白」で見えた日本社会の厳しさ

 

これから、「私の見える日本の世界」というものをお話しようと思います。私自身がマイノリティであり、違った見方をしていると思います。

 

2000年6月、南北朝鮮の首脳会談が開かれました。その日、私のもとにはすごくたくさんの電話が入りました。それが、どの新聞社もます「おめでとうございます」と言ってくる。彼らが「会談をどう思いますか」と聞くので、私は「二人ともデブだと思う」と答えてやりました。そこの国に住んでいる人がやせ細っている時に、指導者が太っているのは変でしょう。私は、具体的な政治構造だけでなく、生活者の視点で見ることが大切だと思います。

 

では、日本で代表する芸能・歌番組、映画、スポーツを挙げてみましょう。皆さんに聞くと、芸能・歌番組では@紅白歌合戦AミュージックフェアBベストテン。映画では@寅さん『男はつらいよ』A七人の侍B水戸黄門。スポーツでは@相撲A柔道B剣道−となります。

 

まず、紅白歌合戦。皆さんは何が楽しみで見ますか。私もとても好きですか。23歳の時まで。

 

在日の1月1日は日本のような正月をせず、「ミョンジョル(名節)」という法事のようなことをするので、大晦日はおじいさん、おばあさんの家に行って女の子が台所で準備をします。その時、おじいさんが「節子(私の日本名)、来い」と呼ぶのです。おじいさんはテレビを指差して、「こいつは在日、こいつは母親が在日・・・」などと説明するのです。紅白を楽しみにしていたのは、出ている朝鮮人の数を数えることでした。当時は、朝鮮人の数が日本人を超えていました。

 

私は、永六輔さんとラジオ番組を持っていましたが、その番組のプロデューサーがかつて紅白のプロデューサーを務めていた方でした。彼は私に「辛さん、紅白見ました? チョー・ヨンピル見ました?」と聞いてきたのです。チョー・ヨンピルは『釜山港へ帰れ』がヒットして紅白に出ました。プロデューサーは「僕が出したんだ」と言うのです。

 

その時、私の口からポロっと本音が出てしまいました。「いやあ、残酷ですね」と。するとプロデューサーは「どうして?」と聞くので、私は「チョー・ヨンピルの後ろで、日本人の名前で日本の歌を歌っている同胞がどういう思いで見ているのかと思うと見ていられなかった」と言ってしまったのです。チョー・ヨンピルにも日本植民地時代の日本名がありました。それに対して、日本名のまま歌っている人もいるのです。

 

「流れの旅人には優しいが、定着している人には厳しい」ということを紅白は教えてくれたのです。それから紅白は見なくなりました。

 

在日にとって、芸能界という存在は大きいのです。在日は就職できないから、力のある人は芸能界に行ったり、スポーツ界に入ったりする。あと、本当にできる人は医者になった。最近はようやく弁護士にもなれるようになりましたが。

 

一方で、右翼かヤクザになる人もいる。広域暴力団の70人の幹部のうち、20人は在日だといいます。1億2000万人中の70人と60万同胞中の20人というのは意味が違います。そのほか、暴力団の幹部には被差別部落の人や沖縄・奄美の人も多いのです。差別と戦おうと思っても、理由が分からないのです。

 

被差別部落の集会に出たことがあります。リーゼントした男ばかりで、暴走族の集会かと思いました。法の際で生きている人は、そちらの世界に流れていくのです。ヤクザになるのは、日本人に愛されたいからなのです。日の丸を掲げ、君が代を流していれば愛してくれると思っているのです。通称名で生きる人の「過剰反応」ともいえるものなのです。

 

■在日排除した確信犯の「寅さん」

 

続いて、「寅さん」です。あの映画は、葛飾柴又の姿がそのまんま描かれています。でも、現実の世界にあるのに、描かれなかったものがあります。それは在日です。

 

寅さんのようなテキヤの仕事は在日がやっていた仕事です。葛飾柴又は朝鮮人の密集地です。なのに、映像の中には出てきません。ただ、2回だけ映像に在日が出たことがあります。1回は、朝鮮人の子供の姿。もう1回は神戸の震災後、寅さんが長田区に行った時です。長田は朝鮮人と被差別部落の人たちの密集地で、震災で壊滅的な被害を浮けたところです。

 

これは、日本人が正月に見てホッとする映画に朝鮮人が出てきては落ち着かないということを山田洋次監督も分かっていたということでしょう。それが証明されたのは、山田監督が作った映画『学校』です。この映画にはマイノリティの姿が描かれています。あれを見た瞬間、私は「汚い」と感じました。一方で社会から押し出されたものを出さず、一方では、押し出されたものを出す−。これは一般の学校と養護学校を分けるのと同じ発想です。「寅さん」で表現できなかったものを『学校』で表現できて、山田監督は喜んでいるのではないかと思いました。これは、ものづくりの中では敗北だと思います。

 

私はこのことを、永さんに言いました。永さんが山田監督と話をした内容を聞きました。

    ◇

永「寅さんって朝鮮人だろ?」

山田「僕は意識していた」

永「じゃあ、なんで(神戸の)長田を出る時に、寅さんに『アリラン』を歌わせなかったんだ。歌わせていれば、世界に誇れる映画になっただろう」

山田「そう。そこまでは考えていなかった」

    ◇

「寅さん」に出てきたマドンナのうち、何人が朝鮮人だったでしょう。できたものがきれいに排除されてきたのです。それって、きわめて日本的なものだと思います。

 

相撲の世界でも、外国人初の横綱は曙だと皆さんは言いますが、在日の横綱や三役がいました。横綱の披露パーティーだって、日本人用と朝鮮人用とに分けられていました。日本人に愛されなければならないからです。野球だってそうです。それだけたくさんの同胞がいることでしょうか。

 

ニュースでも「犯人は外国人風」とよくいいます。民族と出自が明らかになりますが、不起訴になった事件もたくさんあります。いいことをする人は皆、日本名で出ますが、悪いことをするとすぐに外国人名で出されてしまいます。

 

■“告白”した松田優作の気持ちは

 

朝鮮人は、しぐさで分かります。しかし、私たちには一種のタブーがあります。本名を宣言しない人のことは言わないということです。

 

ここで、40歳で死んだある人の話をします。彼は朝鮮人であることをカミングアウトしました(以下、朝日新聞2001年3月19日付を一部引用)。

 

松田優作。本名は金優作。彼は、1973年にドラマ『太陽にほえろ』への出演が決まった時、法務省あての帰化の動機書にこう書いています。「番組出演が決まり、全国に名前が知られることになりました。私が韓国人ということで、誰かを失望させたくありません」

 

松田優作は山口県下関生まれ。人口の2%が在日です。松田は母の通称名。彼は父の顔を知りません。当時の下関は朝鮮人への偏見で満ちていました。担任の先生は、優作の志望より1ランク下の高校を勧めました。同じ点数の場合、在日は不利だからです。高校の同級生は、教師に「あいつとは付き合うな」と言われました。彼は、米国籍が欲しいと米国にも留学しました。

 

「郷愁で韓国に行くヒマはない」と周りに話していた彼は、芝居を書いて演出を手がけることになった時、「朴李蘭(ぼく・りらん)」という芸名をつけました。周囲はビックリしましたが、彼は「ボブ・ディランのもじりだ」といいました。ボブ・ディランは、米国で黒人女性を撲殺していながら事実上無罪となった犯人を憎んで作った歌『ハッティ・キャロルの寂しい死』という歌を作ってヒットさせました。歌のヒットは再審にもつながったことで有名です。松田自身はボブ・ディランになりたかったのかもしれません。何かを獲得したかったのかもしれません。

 

松田の二人目の妻、美由紀は彼の髪の毛を母の故郷である釜山に持っていって埋めてやりました。彼はさまよった末に、40歳で死んだのです。

 

■また同じこと・・・「9・11」が立証

 

昨年の「9・11」の映像を見て、多くの日本人は「映画みたい」という感想を抱いたようです。「私はどう思ったと思う」と周りに聞くと、「ざまあ見ろと思ったのでは」という感想を言われます。

 

私が実際どう思ったかについてですが、私は「9・11」の後、梁石日(ヤン・ソギル)や朴慶南(パク・キョンナム)ら、知りうる限りの友人に聞いてみましたが、多かれ少なかれ共通の思いを持っていました。

 

あの日、午後10時前に1機目が突入しました。その時は事故かなと思いました。しかし、全社のテレビ画面が切り替わった10時半、2機目が突入した時には「テロだ」と思いました。その時、私は0・3秒で感じたのです。「もしこれが北朝鮮の犯行だったら、明日からマチに出られない」と。私はすぐに母に電話しました。「どこにいる? 窓を閉めて。メシはある? 電話も出てはいけないよ。携帯もマナーモードにしていて。絶対に外に出てはだめよ」と。

 

運がよかったのは、それから1時間ほどたって、イスラム教過激派の犯行だと分かった時です。その瞬間、私は「よかった」と思いました。私にはイスラム教の友達もいますが、その時は正直、そう感じたのです。

 

日本社会には、米国と北朝鮮が戦争をしている国だという意識がないのです。北緯38度線は、韓国と北朝鮮が戦争していると思っているのです。北朝鮮は連合国と休戦協定を結んでいるのです。「休戦」であって、戦争は続行しているのです。だから米国は、テロ国家に北朝鮮とイラクを入れているのです。多くの日本人は、そういう近代史さえ分かっていないのです。いびつになると、こぶしをいつも私たちのもとに落としてくるのです。

 

昨年、教科書問題でもめているさなかに、時事通信がある記事を配信しました。「広島市の横川駅で朝鮮民族学校の女子生徒が車に押し込まれ連れ去られた」というものです。彼女は幸運にも20分で放り出されましたが、その前にも同じ男たちに腹を蹴られていたのです。しかし、その記事は配信直後に止められます。止めたのは朝鮮学校でした。その理由は「模倣犯が出たら、もう止められない」というものでした。

 

89年には、パチンコ疑惑がありました。パチンコ業界の金が北朝鮮に流れているというものです。しかし、パチンコ業界の金は拉致議連の自民党議員に流れていますよ。このときには、80件の被害が届けられています。その後、テポドン騒動の時は58件。そのうち検挙に至ったケースはゼロです。私が子供の時も同じことがありました。この日本社会は変わっていないのです。「9・11」は、そのことを見事に立証してくれました。

 

「9・11」の後、空港の手続きが変わりました。チケットを買い、座席指定するところまでは一緒です。しかし、手荷物検査の時に「お名前を」と聞かれることが追加されました。私は「また始まった」と感じました。名前を読むことで何が防犯できるのでしょうか。私は聞かれるたびに、そう尋ねました。ある地方空港では、とうとう管理職が出てきました。「外国人かどうかを音で判断しているのです」と。

 

同じことを、かつて日本はやりました。関東大震災では「10円55銭、50円55銭と言ってみろ」とやって、多くの人が殺されました。中には吃音の人や東北出身の人、聴覚障害の人もいました。

 

千葉県では、被差別部落出身の9人(うち1人は妊婦)が殺される「福田村事件」が起きています。朝鮮人と間違われて殺されたのです。殺した人たちは「仕方ない」と天皇の恩赦で出てきました。彼らのために村の人は力を合わせて畑を守り、殺した人間はその後、市議にまでなっているのです。(編注=福田村事件は震災5日後の23年9月6日、千葉県福田村<現・野田市>で起きた。香川県の被差別部落から来ていた薬売りの一行が、聞き慣れない四国のなまりを「言葉が変だ」として自警団に襲われた)

 

報道では、「邦人の安否は」という言葉がよく使われます。ペルー日本大使館公邸占拠事件では、派遣されていた在日のことが、「国籍が違う」という理由で報道されませんでした。

 

そのこともあって、「9・11」の時には、私の友人の知人が外務省に確認しました。外務省は「在日? 日本人さえ分からないんだよ」と言っていたそうです。あちこちに確認してみると、東京都は全く無視。神奈川県は「在日のことは国際交流課へ」とたらい回しにされましたが、結局分かりませんでした。

 

そんな嵐の中で、拉致事件が起きたのです。在日は地獄を見ると思いました。こぶしは振り下ろされ、10日から20日の間に暴行が300件以上起きました。私の生きてきた歴史の中で未曾有のことです。

 

10月、関西学院大学で予定されていたプロボクサー(WBCスーパーフライ級王者で在日朝鮮人)の徳山昌守(本名・洪昌守)の講演会が中止になりました。

 

彼は、在日の中の「巨人の星」のようなものです。父ちゃんに誉められたい一心で歴史も何も知らずに「北朝鮮の公民です」などと言っているのだから哀れだなと私は思うのですが、彼のホームページもやられていたわけです。

 

大学が私に来てというものだから、その代わりに行ったのですが、大学生は本当に何も知らないと感じました。在日は朝鮮人、韓国人といいますが、父祖の地は100%といってもいいほど韓国です。南の方が収奪がひどくて日本にやってきたからです。「朝鮮籍」というのは日本と国交がないからありえないことです。一方、韓国籍は自らの意志で取得したものです。学生たちは「強制連行の証拠を見せろ」と聞きます。しかし、それは彼らに「原爆が落ちた証拠を見せろ」というのと同じくらい愚かなことなのです。

 

■日本は故郷奪い、祖国は息子奪った

 

1910年、朝鮮は植民地となりました。日本が国家として強姦して奴隷にしたのです。そして、45年に終戦。日本領土の中で朝鮮半島が米ソが入ってくることによって分割統治されたのです。ここを間違わないでください。そして、私たちは外国人として放り出されたのです。首相は「朝鮮人に食わせるコメはない」と言いました。終戦時に日本にいた朝鮮人は230−250万人でした。そのうち強制連行されてきたのは約30万人です。その後、日本から韓国に帰った人もいれば、サハリンでは置いていかれた朝鮮人が、ソ連によって日本人として中央アジアまで連れて行かれたりしました。

 

50年には朝鮮戦争が勃発(〜53年)。私たちは帰れなくなりました。その後、65年に韓国とだけ国交を結びます。それから初めて、韓国籍を取得できるようになったのです。ふるさとに行けるようになったのです。しかし、この国籍取得も初めは利権でした。取り残されたのは貧乏な人、南北統一を願った人、共産主義・社会主義を支持する人、帰還事業で北朝鮮に行った人です。

 

私は韓国籍取得に7年かかりました。金が払えなかったからです。最後は安企部と直談判し、「韓国に行けば−」ということになりました。しかし、韓国に行って着いた先は最大の刑務所でした。私の父がペンクラブの会長をしていた関係で、外には出られたのですが、公安から取り調べを受けました。釜山の空港から帰る時には、平手打ちをされたのです。そうまでして国籍を取ったのです。韓国を父に見せたかったからです。父は戦前・戦中と共産党員でした。大学時代は弁護士になりたいと考えていましたが、終戦で朝鮮人は弁護士になれなくなったのです。

 

「帰還事業」では、59年から10万人の在日二世・三世が片道切符で北朝鮮にわたりました。日本人の女性も2000人、子供も4000人いました。私が、国というのはものすごいものだと感じたのはこの帰還事業です。

 

私は59年に生まれました。識字学級に行っていたので、北朝鮮からの手紙を100通以上読みました。1枚目は皆同じでした。「ネッカチーフ送れ」「サッカリン送れ」と。

 

でも、なぜ北朝鮮に行ったのでしょうか。日本での差別がひどかったからです。だから、子供だけでも北朝鮮で学ばせたかった。それに日本も賛同したわけです。右の新聞だって「いいことだ」と書きました。

 

軍事独裁国家ですが、北はいい国にみえたのです。社会主義にあこがれていた人もいたでしょう。北朝鮮にとっては、こぞって来てくれれば、いい国の宣伝になったわけです。だから、最も貧しい人から北朝鮮に渡ったのです。

 

母方の祖父と叔父も北に行きました。祖父は行ってすぐに死んでしまいました。叔父とは音信不通になりました。北に親族が行って死んだかどうかの消息を知っている人は一人もいないでしょう。うちには、近所のおばあさんが「手紙を読んでくれ」とよくやってきました。私が手紙を読んでいる間に、おばあさんは我が家のものをくすねていきました。それでも、北朝鮮の家族に送ってやろうと思っていたのです。すでに、北朝鮮はヤバイと思っていたのです。だからこそ、ひたすら統一を願っていたのです。

 

うちも、あきらめていました。しかしある日、朝鮮総連経由で叔父から手紙がきたのです。

 

私は金を積んで、母を北朝鮮に行かせました。共産党は金次第だと思ったので、あれほど借金したことはありません。

 

母は13日間いたのですが、誰にも会わせてくれません。そこで金をもう1回ぶち込むと、明日は新潟に帰るという日の夜、母は弟に会えたのです。叔父は寒いのに靴下も履かず、北朝鮮を賛美することを言っていたようです。母が「ハンメ(おばあさん)はもう長くない」と伝えると、叔父は「オモニ(母さん)においしいものを食べさせてやりたかった」と泣きました。叔父は、腕に刺青をしていました。漢字で「母・リ・ハク・ラン」と4文字。死んでも誰かが知らせてくれるだろうと思っていたようです。

 

それを聞いた祖母は「日本は故郷を奪い、祖国は息子を奪った」と言って泣きました。

 

母の下の弟は精神病院に入っていました。横田めぐみさんが入っていたという病院です。叔父は、母が行った何日か後に死にました。その叔父の写真を見て、母は壊れました。私は、その写真を箱に入れてしまいました。いまだにその写真は見ていません。叔父は自分だということを伝えたくて、自分の血で指紋を押していたのです。私はその時、叔父の手紙を開けませんでした。

 

私は一家の柱として働いていました。が、どんなに働いても北朝鮮にいる叔父の面倒は見てやれないと思いました。上の叔父も1年後に死にました。もう、北朝鮮に住む人はいなくなったのです。私はその時、よかったと思いました。「これで北朝鮮に迷惑をかけられることはない」と思ったのです。

 

■国家・民族の枠を超えて考えよ

 

もう一つ怖かったのが、73年8月の金大中事件です。同じ時期に西ドイツで音楽家が韓国によって拉致されましたが、こちらは国家を挙げて連れ戻しました。しかし、日本は政治折衝しようとしただけ。日本は彼を守ってくれなかったのです。

 

日本では、国家間のしがらみによる日本社会の民族的優越感のはけ口として、こぶしが振り下ろされます。

 

連日報道される拉致事件を見て、私の母はいつも泣いています。国家がいかにひどい存在かということは、国家と国家とのはざまにいる在日が一番よく分かります。日本は救ってくれないのです。そのことを日本人は全く知らないのです。

 

報じられている拉致被害者の子供である少女は、朝鮮人という世界で生きてきました。大学に行きたいと思っていますし、恋人だっているでしょう。日本へ連れてくるなんていうことが言われていますが、在日の二世、三世のいうことに耳を傾けたら、そんな判断はできないでしょう。在日は「アイデンティティ・クライシス」にあります。いつの日か突然「在日だ」と言われて、どうしたらいいかと考えたことがあるのです。そんな話に耳を傾けた人がいるでしょうか。

 

私には愛国心は全くありません。国を愛したことはないのです。そこにいる人を愛したことはありますが。

 

日本が朝鮮半島でしてきたことを謝る人がいます。しかし私は「あなたが謝ると、本当に悪い人は逃げていってしまうよ」と言っています。

 

被害者の側に立って加害者を糾弾し、再発を防止するというプログラムが必要なのです。本当の被害者、加害者というのは国境を超えています。私たちは今、その後遺症に悩んでいるのです。過去の加害者を処罰する責任は私たちにあるのです。国境や民族を超えて何ができるのか−。いつも国家や民族という枠の中で語られることを不幸だと思っています。

 

現在の日朝交渉には無力感を覚えます。日本も北朝鮮も世襲制です。私は、先の戦争の一番大きな成果は、北朝鮮を「天皇の国」にしたことだと思います。国を牛耳っているのが北朝鮮は軍隊で、日本はゼネコン。これは男が作ってきたものです。腐った男の成れの果てはDVを起こし、腐った国家の成れの果てが冷戦構造を生んだのです。

 

【質疑応答】

Q タイトルにある「平和と人権の21世紀」を目指すには。

A 日本国憲法自体が差別なのですね。「何人も」と言ったり、「国民は」と言ったり。国籍で差別しています。あと、右翼についてはよく語られる半面、左翼の血については検証されていませんね。左翼の子供はよく右翼になったりします(笑)。左翼の家庭では父親は「世界平和のため」と言っていますが、母親は犠牲となっています。生活者として生きていく力が男にはないのです。ベトナム戦争でも、米軍が「単身赴任」していったのに対して、現地では生活があるから勝ったのです。男が既得権益に生きてきた社会をいかに変えるかが重要です。

私は今、石原慎太郎と闘っています。彼はファシストですが、なぜ彼を好きな人間がいるのか。好きな人は「男は強くないと」と思っているのです。ですが、いじめで自殺するのは男の子が8割。今、男は壊れてきているのです。強い男のフィギュア(代理)として石原がいるのです。金を稼げなくなった父親の代理なのです。しかし、それを補完しているのは女です。男らしさのレッテルを張っている。つまり差別しているのです。男が違う生き方や人間性を取り戻すことが、危機的状況を変えることになるかもしれません。もう、王様の時代ではないのです。生活者として女と一緒に生きていかなければならない時代なのです。

 

Q 私の中学校では、朝鮮学校の生徒に励ましの手紙を送りました。

A 在日社会は今、PTSDにいます。一世のおばあちゃんには日朝首脳会談があった9月17日から一歩も外に出ていない人がいます。「家の前に犬猫の死骸があるのでは」と外に出られない人もいます。過去に叩かれた経験がよみがえっているのです。「頑張れ」というのは美しく見えますが、言うなら一歩進んで、加害者に対して「おまえら何をやっている」と言ってほしい。この社会はいつも、いじめられる人に「頑張れ」と言います。加害者には声が届いていないのです。今回の一連の嫌がらせも、高校生が加害者であるケースが多いようです。お上が安心して名指しした悪だから叩けると考えているのです。

 

Q 「在日コリアン」という表現を最近聞きます。

A 在日韓国・朝鮮人といいますが、「韓国人」といえば韓国を支持し、「朝鮮人」といえば・・・という具合に思想までステレオタイプで色分けされるのが嫌ということもあって、マスコミ側も総称して「コリアン」という言葉を使いはじめたようです。私も以前は「コリアン」と言っていましたが、「在日朝鮮人」という呼び方に変えました。なぜなら、「コリアン」では闘えないと思ったからです。韓国大使館からは「なぜ」と3度呼び出されましたが。私自身は戦後日本の中に生まれた新しい少数民族だと思っています。



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