資料室


昭和20年の記録「その日何が・・・」


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関連資料メモはこちら

表紙、およびこのページは次の書籍等を参考にしています。(随時追加)
 ◆書籍
「日本史年表」(岩波書店) 「ヒロシマの記録」(中国新聞社) 「検証ヒロシマ1945~1995」(中国新聞社) 「昭和の毎日がわかる本」(ランダム出版) 「広島 昭和二十年」(大佐古一郎 中央公論社) 「戦後史」(中村政則 岩波書店) 「終戦日記」(大仏次郎 文芸春秋) 「昭和史残日録」(半藤一利 筑摩書房) 「暗黒日記 3」(清沢洌 筑摩書房) 「朝日新聞の九十年」(朝日新聞社) 「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之 講談社) 「原爆を投下するまで 日本を降伏させるな」(鳥居民 草思社)「敗戦日記」(高見順 中央公論新社)  「年表ヒロシマ」(中国新聞社)  「もう一つのヒロシマ」(中国新聞社) 「呉空襲記」(中国新聞社) 「海野十三敗戦日記」(中央公論新社) 「天皇の終戦」(読売新聞社) 「もはや高地なし」(光文社・1960年) 「原爆投下問題関係参考資料」(西島有厚編) 「爆撃機ロンサムレディー号~被爆死したアメリカ兵」(NHK出版・2004年) 「原爆で死んだ米兵秘史」 (光人社・2008年) 「原爆予告をきいた」(草土文化・1983年) 「ヒロシマ日記」(法政大学出版局・1975年) 「原爆表現と検閲」(朝日新聞社 1995年) 「封印されたヒロシマ・ナガサキ」(2008年 凱風社) 「ヒロシマ二十年」(弘文堂 1965年) 「広島県戦災史」(1988年 広島県) 「秘密のファイル」(新潮社 2003年) 「天皇の玉音放送」(朝日新聞出版 2008年)

◆ホームページ
「木内信夫のわんぱく物語」  「Wikipedia」  「日本占領期年表」(Household  Industries ) 「前坂俊之~メディアを疑え~」  「呉の戦災」 「沖縄タイムス」(WEB版) 「たむ・たむ(多夢太夢)ページ」 「哲野イサクの地方見聞録」


1月

1日(月) ●米誌「タイム」、日本製風船爆弾が太平洋を越え、モンタナ州に落下したと報道
2日(火) ●曇り、夜来の降雪(広島)。6時から、吉田軍需大臣の「産業戦士諸君へ」と題する放送。新聞休刊の廃止で初めての二面付紙面(中国新聞)。
二面に連載断ち切り読み物「決戦に起つ若き姿」(大佐古一郎著「広島 昭和二十年」より) 
3日(水)
●マリアナ諸島より米軍機来襲。大阪、名古屋などを爆撃
●トルコ議会が対日断交 を決議
4日(木) ●フィリピン、サンホセ湾にアメリカ輸送船団進入
● 広島の映画館、高千穂館で「暖流」、 太陽館で「肉弾挺身隊」、東宝劇場では「狼火は上海に揚がる」上映中
5日(金) ●軍需省講堂で第1次征空義勇工作隊編成式が行われる。工作隊は職場の「特攻隊」
6日(土) ●政府が増税案を発表。次年度一般会計予算は224億円、臨時軍事費特別会計追加予算として18億円を増徴
●B29、80機が九州へ来襲。フィリピン、ルソン島リンガエン湾に進入したアメリカ艦船が艦砲射撃
7日(日) ●広島県庁記者クラブが、松村知事らの松根油製造工場(豊田郡河内町)視察に同行。松村県知事は「農山村のフィリピン作戦に寄与する道は、(航空燃料となる)松根油の増産にある」と述べる
 8日(月) ●中国新聞社在郷軍人分会の暁天(夜明け前)動員。山本分会長(編集局長)ら76人参集。「郷軍滅敵護国の誓い」唱和。そのひとつ、「われらは思想戦の戦士なり全魂を紙弾に傾けて、聖戦完遂の先導たらん」(「広島 昭和二十年」より)  
 9日(火) ●アメリカ軍、ルソン島に上陸。B29、60機が関東、東海道、近畿方面に来襲 
10日(水) ●中国5県の知事が広島県庁に集まり、中国地方行政協議会開く。軍需生産、食料増産、輸送の隘路打開など話し合う 
●午後3時半、大本営発表「敵、フィリピン、リンガエン湾とサンホセに上陸開始」と。(「広島 昭和二十年」、大仏次郎「終戦日記」より) 
11日(木) ●松村光麿広島県知事、さつま芋増産の優秀校船佐国民学校(高田郡船佐村・当時)を表彰(「広島 昭和二十年」より)
12日(金) ●内閣情報部など、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的につくられた内閣直属の機関である情報局が、「5大決戦」施策を発表。防空強化、食糧、軍需増産などを強調 
13日(土) ●東海地方にマグニチュード6.8の大地震(三河地震)。死者行方不明者2300、住宅全半壊2万4000。 報道管制により新聞は「被害は軽微。東海道線をはじめ主要駅に異常はなく、夜明けの道を職場へ急ぐ戦士の顔には何の変わりも見られなかった」(朝日)と伝える
14日(日) ●都市部の大学、高専、男子中学校は学生が宿直。空襲から校舎を守るよう文部省が通達
15日(月) ●米軍機、伊勢神宮外宮を爆撃
●内閣顧問末次信正海軍大将が来広。元安川河畔の宿舎天竜館で取材記者に「君、前線の特攻隊の神風を銃後からも吹かさなくては・・」と語る (「広島 昭和二十年」より)
16日(火) ●軍需省が釘を使わない小型合板船を開発、就航。ドイツ軍がワルシャワから撤退
17日(水) ●政府が陸海将兵の敢闘にこたえるためとして、援護局と管理局を新設。●ソ連軍がワルシャワを「解放」
 18日(木) ●最高戦争指導会議で「本土決戦態勢」を決定
●情報局より増税細目を発表
●広島・中島本町の浄宝寺から出火。本坊、隣接する家屋など5軒全焼
 19日(金) ●阪神地方にB29、80機が来襲
●4月1日からハガキ3銭から5銭に、封書は7銭から10銭に値上げ。タバコの「光」は10銭から60銭に
●ソ連軍、ドイツ国境に到達 
 20日(土) ●農務省が味噌の値上げを発表、100匁13銭から15銭に。醤油(並み)55銭が70銭に
●ハンガリーがソ連に無条件降伏、新しく樹立されたハンガリー政府がドイツに宣戦布告
 21日(日) ●第86帝国議会開会。小磯首相、「皇国今や興廃の関頭に立つ」と演説●松村広島県知事、東京から帰広。会見で「戦局は全く楽観は許さぬ。比島戦局を失うと、わが国は逐次困難な情勢に立ち向かうことになる」と話す(「広島 昭和二十年」より) 
●台湾、沖縄に米軍機450機
 22日(月) ●広島県庁記者クラブで警察部長、特高課長ら会見。記者、三河地震報道などを挙げ、当局の「知らしむべからず、よらしむべし」の姿勢を批判 (「広島 昭和二十年」より)
●農商務省が家庭用鍋、釜、バケツなどの修繕活用を要請
 23日(火) ●東京都庁が店開きしたチリ紙交換が大繁盛。初日の実績はチリ紙1000貫
●第13回中国地方行政協議会が開かれ、重要工場分散疎開、さつま芋の増産、車内道徳、隠退蔵物資の戦力化など協議 (「広島 昭和二十年」より)
 24日(水) ●フィリピン、ルソン島上陸の米軍が兵力増強、マニラをめざして南下。ミンドロ島で米軍に包囲された大岡昇平一等兵、山中で若い米兵と遭遇。銃に手を掛けたが、他所の機銃の音で米兵立ち去る(「昭和史残日録」大岡昇平『俘虜記』のこと」より)
 25日(木) ●最高戦争指導会議が軍需生産増強など「決戦非常措置要綱」を決定。衆議院本会議で昭和20年度臨時軍事費追加予算案850億円を可決
 26日(金) ●広鉄局が2月から2ヵ月間、衣料疎開の受付を開始することに。1世帯5個まで。県当局は縁故疎開を勧め、市部在住者には「簡易生活に慣れろ」という(「広島 昭和二十年」より)
 27日(土 ●B29、70機が東京を空襲。初めて銀座など都心を攻撃。爆弾や焼夷弾による火災発生。死者300人以上。清沢洌は「大本営は、B29を22機撃墜、他の大半に損害を与えたと発表。米国は4機未帰還といっている由。日本側の発表は常識的に少し誇大にすぎるようだ」と日記(1月29日)に書く(「暗黒日記」より)
 28日(日) ●中国新聞社で、三村剛昂広島文理大教授ら7氏による「科学戦」の座談会(「広島 昭和二十年」より)
●政府が公債消化と産業資金を賄うため、国民貯蓄増強を呼びかけ。20年度の目標額は600億円
 29日(月) ●1942年(昭和17年)に日本が占領したインドネシア・スマトラ島を米軍艦載機 130機が襲う 
 30日(火) ●清沢洌 「日本の国民は何も知らされていない。何故に戦争になったか。戦争で損害は幾らなのか、死傷はどうなのか」と書く(「暗黒日記」より)
●福田農商相、衆議院農林中金委員会で「イモ類の増産に力を注ぐ」と述べる
 31日(水) ● 松村広島県知事、食糧増産には、青少年、学徒、非農家、疎開者も協力せよ。郷軍(在郷軍人会)分会、翼賛壮年団とも連絡を取り、結果を見届けることを 指令(「広島 昭和二十年」より)
●1月の東京の気温は連日平年以下、20数年ぶりの寒波

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2月

1日(木) ●東京上野のデパートで日用品交換会開く。衣料切符不用(役に立たず)、税金免除。
 2日(金) ●1月28日の座談会「科学戦」での参加者発言について、「広島昭和二十年」に記載。「原子爆弾は実現の域にはまだ遠く、この戦争には間に合わぬだろう」
●松村広島県知事、中国行政協議会報道挺身隊(記者クラブ)に「食糧増産に協力する資金」として2000円を手渡す(「広島 昭和二十年」より)
※1945年当時の物価と現在を比較すると,600~1000倍程度。
 3日(土) ●米軍がマニラに進入。日本軍と激烈な市街戦を展開。米機2000、ベルリンを空襲。 ※マニラでの戦闘による「悲劇」は戦後、永井隆著「長崎の鐘」出版にまつわる、GHQによる「原爆正当化のための合本命令」事件に登場する
 4日(日) ●米英ソ3首脳(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)がヤルタ会談を開く
●政府が、日本新聞会を3月1日付けで解散させる命令。日本新聞会は昭和17年2月5日設立。政府の意に沿った「公器性」を高め、新聞社の整理統合、営利性の一掃、新聞記者の登録制などを実施した。3月からは情報局直轄の社団法人日本新聞公社(仮称)になる(「広島 昭和二十年」より)
 5日(月) ●大佛次郎 「B29の朝鮮に侵入すろものはビラをまいて行くだけで投弾せぬ。その内いい時代が来るというビラだそうである」と日記に。(「終戦日記」より)
●都市ガスの出が悪化、ご飯を炊くのに数時間かかる家庭が続出
 6日(火) ●中国行政協議会の報道挺身隊(県政記者会と同一メンバー)の総会開く。前年3月の結成式では、「決戦綱領」3か条を宣誓、行政協議会横山会長から「報道挺身」と書いた日の丸が授与された (「広島 昭和二十年」より)●「愛国行進曲」に次ぐ第2の国民歌として、情報局は「必勝歌」の作曲を決定
 7日(水) ●東京都内に居住し、工場事業所で働く労働者が15日以上の無届け、不正欠勤した場合、米を減配することを警視庁が通達
 8日(木) ●政府の情報局新聞課長が、上京した中国新聞大佐古記者らに「時局の現段階は、政府と新聞が新たに直結して、共に困難打開の大任にあたることを要請している」と話す(「広島 昭和二十年」より) 
●理工系の学生の入営延期を廃止
●ソ連軍、フランクフルトに到達
 9日(金) ●大仏次郎 「朝日記者の話で、千葉県下の隣組の中に、カンカンの男がいて、犬猫を飼っているのは米が余裕があるのだといい、犬猫を抽選で供出させる。その人の姉の家が籤(くじ)に当たり、山に逃がすことを考えた、という。まるで明治初年の話である。民衆は決して愚かではなく、少し上の位置にある生ハンカのやつに馬鹿が多いのである」(「終戦日記」より)
 10日(土) ●B29、90機が群馬県太田の中島飛行機(現・富士重工業)工場を爆撃。憲兵隊は「敵がなぜ、飛行機工場の所在を知るか。これはロシア人のスパイによる」と、ロシア人に近い日本人をしらみつぶしにする(「暗黒日記」より)
 11日(日) ●ヤルタ会談で対ドイツ戦争処理を決める。また、ドイツ降伏90日後のソ連の対日参戦、千島列島、樺太など日本領土の処遇について秘密協定締結
 12日(月) ●大仏次郎「新聞社の内部でも玉砕派と民族保全派の2つの色彩が次第に表面化しかけている。政府の宣伝はこういう事態を全部国民の目から隠し、いよいよほんとうのことをいえない羽目に陥入りつつある」(「終戦日記」より)
●東京・日比谷公会堂で情報局選定「必勝歌」の発表演奏会
 13日(火) ●広島・羽田別荘で、県会打ち上げに伴う議員、理事、記者クラブの懇親会
(「広島 昭和二十年」より) 
●マニラ湾口のコレヒドール島に米艦船近接、艦砲射撃、市街戦激烈
●連合国軍が、ドイツの古都ドレスデンに無差別爆撃。ドレスデンは廃墟の町となる
 14日(水) 近衛文麿、敗戦必至として国体護持のため和平交渉と、陸軍首脳の入れ替えを天皇に上奏。天皇は「もう一度戦果をあげてからでないと、なかなか難しい」と発言
●中国がヤルタ協定に同意を表明
 15日(木) ●大仏次郎、フィりピンから帰国の明治大教授松本滝蔵(広島・廿日市出身)の話を聞く。松本、日本軍人の粗暴な振る舞いを話し、「フィリピンではほとんど皆な米国側についている。どうせ米国が勝つから、日本に味方すると、そのうちひどい目に遭うから」と(「終戦日記」より)
●イモ類増産隊の幹部養成のため、農業専門学校の学生を動員、訓練開始
 16日(金) ●清沢洌「『敵は焦っている』ー ラジオでもいい、新聞でもいい、軍でもいう。これはおそらく、もう敵も飽いている、ひと頑張り頑張ればいいという意味だろう。この認識が、従来ズッと観察を謬ってきたのだろう」(「暗黒日記」より)
●空母10隻を含む米機動部隊が日本へ。艦載機1200機で関東各地を攻撃
 17日(土) ●京浜地区行き乗車券と東京地区に着または通過の乗車券は、軍・公務以外は全面的に停止。
●清沢洌、「きょうも艦載機来襲。機動部隊が来てどうにもならない。海軍全滅したことを知るべし」(「暗黒日記」より)
 18日(日) ●運輸通信省が前日に始めた東京、京浜地帯への電車旅客制限について、県庁記者クラブ(広島)での会話。「緊急用務などの例外者を誰がどのように認定するか問題だ」「旅行の証明書につく闇のハンコと役得がまかり通ることになってしまうなあ」「まったく、戦争は人間の心を邪道に突っ走らせる」。在郷軍人会が、幟町小学校で朝訓練 (「広島 昭和二十年」より)
 19日(月) ●中国新聞山田記者、山本氏(写真部)に召集令状。同盟通信の太田記者も三度目の応召(「広島 昭和二十年」より)
●米軍硫黄島に上陸開始、米軍発表で3万人
 20日(火) ●清沢洌、弁護士の正木ひろしと会話。「警官による拷問致死事件(首なし事件)を告発した稀に見るファイターだ。正木によれば、『日本には憲法もなければ、法治国家でもない。ギャングの国である。警察でどんなことをされても仕方がない』そうである」(「暗黒日記」より)
 21日(水) ●中国新聞の応召者、写真部山本氏、普及部向根氏の壮行式。ほか3人も22日入隊。3度目の応召となる同盟通信の太田少尉、県政クラブの壮行会散会後、大佐古記者とともに、小雪のちらつく万代橋(県庁橋)で放尿。「娑婆の自由を味わっとこうか」(「広島 昭和二十年」より)
●特攻隊の攻撃により、硫黄島で米空母1隻(当初の「2隻」を訂正)を撃沈。硫黄島の米軍は4万~4万5000人、とリスボン電
 22日(木) ●軍事評論家が書いた「朝日」の記事が、中国新聞の論説(部門)で議論に。記事は「敵米は国内の事情から到底長期戦は戦えない。たとえ都市が爆撃されても日本は負けない」というもの(「広島 昭和二十年」より)
●米英軍6000機がドイツ各地の交通網を攻撃
 23日(金) ●午後2時ごろ空襲警報発令(広島)。B29一機が東南方1万メートルくらいを西へ向けて通りすぎる。地上からの応戦はなし。(「広島 昭和二十年」より)
●東京は大雪、一尺積もる
●トルコが連合国側に参加、対日独宣戦布告
 24日(土) ●職場で働く傷痍軍人118人を陸海軍省などが表彰。
 25日(日) ●大雪のなかB29、130機による東京空襲。焼失戸数19423戸、死者100人、傷者309人。皇居に初めて焼夷弾。小磯首相、天皇に「お詫び」   
●硫黄島、擂鉢山で激しい戦闘 
 26日(月) ●前日の東京空襲で、神田一面が「焼けただれ、まだ燃えている」。上野方面も(「暗黒日記」より)
●エジプトが対日、対独の宣戦布告
27日(火) ●広島県の竜野参事官「他言しないように」と記者に、「大本営は本土決戦に備えて、皇居と大本営の移転を真剣に考え始めた。その候補地として長野、広島両県や満州国が挙げられている」と話す(「広島 昭和二十年」より)
●硫黄島の中央部に米軍進出
28日(水) ●中国新聞大佐古記者が、取材研究会での藤坂整理部長の言葉を日記に書く。「新聞社を潰し、憲兵にひっくくられるつもりなら、会心の紙面がつくられるだろうなあ・・・」(「広島 昭和二十年」より)
●大仏次郎は、「ラジオが硫黄島へ向けて感謝の放送をしている。悲痛である」と(「終戦日記」より)

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3月

1日(木)
●日本新聞会が解散、社団法人日本新聞公社が設立される。新聞と政府の一体化、新聞の「官報化」をさらに進める
2日(金) ●天皇を囲む皇室の集まり。高松宮、三笠宮ら5人出席。高松宮が「近衛文麿ら4人の重臣を側近に置くこと、最悪の事態に備えた処置を促進すること」を提言した。天皇は何も答えず、ほかの問題が引き金となって(天皇が)声を張り上げ、気まずい空気の中で散会した(「原爆を投下するまで 日本を降伏させるな」より)
●農商務省、不正配給の幽霊人口は100万人と推定
 3日(土) ●中国新聞大佐古記者が日記に書く。「新聞記者は、新聞紙法、新聞紙掲載禁止令、新聞事業令、言論出版集会結社等臨時取締法、国家保安法、軍機保護法、不穏文書取締法などでがんじがらめにしばられていて、国家公務員みたいなものだ」 (「広島 昭和二十年」より)
●米軍が、1ヵ月に及んだマニラでの戦闘の終結を宣言
 4日(日) ●B29、150機が東京空襲。清沢洌、「巣鴨ほかがやられたそうだが、例によって全く発表はなし。日本では『被害軽微』『敵の損害甚大』と言っている間に、いつの間にか大都会の過半は焼失してしまうということになるのだろう」と書く(「暗黒日記」より)
 5日(月) ●「河北新報」(仙台)一力次郎社長の話。着任の東北軍管区司令官が地域の有力者を集めて演説した。「敵が上陸してくれば自信がある。敵は補給線が伸びている。比島や硫黄島は狭くて力が出ないが、内地では陸軍得意の作戦に出られる」。これを伝え聞いた清沢洌、「彼等は、ほんとに、焦土を考えているのである」と書く(「暗黒日記」より)
 6日(火) ●朝日新聞に連載中の大仏次郎の小説「乞食大将」が新聞用紙難のため打ち切り。完結は戦後となる。大仏はこの日、「硫黄島戦況に関する大本営発表、暗に見捨てる肚(はら)を感じさせ腹立たし。超然としおること難事なり」と書く。(「終戦日記」より)
●国民勤労動員令公布。ユーゴにチトー人民政府樹立
 7日(水) ●2月の毎日新聞に「大権の発動のもと、全国を戦時編制とし、一大鉄陣とせよ」など「皇国革新十箇条」を書いた徳富蘇峰に対し、清沢洌が「責任を解さず、他人のみを責めることを難詰する」として、『東洋経済』の社論に「徳富蘇峰に与ふ」を書く(「暗黒日記」より)
 8日(木) ●高見順、「朝日新聞に『本土決戦に成算あり』という見出しの記事あり。『我に数倍の兵力、鉄量。敵上陸せば撃砕。一挙に戦勢を転換せん』-比島の時も同じようなことを新聞は書いていた。しかるに実際は・・・・」と書く(高見順 「敗戦日記」より)
 9日(金) ●戦争への疑問を書き綴ってきた清沢洌、「通信院に頼まれ、前橋で講演。『日本はあくまで抗戦すべき』旨を述べる。決して本心ではない。日本の空気は正直なことを言えないようにできてきている。この空気をかえなくては、外交は出来ない。戦争の結果でそれが可能だろうか。急にできるものではあるまい」と書く(「暗黒日記」より)
●日本軍が、仏領インドシナでクーデタ。軍を武装解除し、フランス植民地政権を倒す(※ ラジオは「単独防衛の行動に出た」と伝える。高見「敗戦日記」より)
 10日(土) ●東京大空襲。午前0時過ぎから約2時間、300機の米軍機が東京を襲う。死者10万人、焼失家屋27万戸余、被災者100万人。B29搭乗の米兵は「それは世界最大の火災だった。ふき上がる火炎の明かりで、時計の文字盤が読めた」と語る。(「昭和史残日録」より)
(※ 2007年3月9日、被災者と犠牲者の遺族112人が日本政府に対し、謝罪と損害賠償を求めて提訴,2008年3月10日、さらに20人が提訴した)
 11日(日) ●中国新聞山本実一社長、海外向け放送で兵士らに激励・慰問の声を送る。「日本の本土も実戦場となっているが、守りは鉄壁である。中国地方一帯は空襲はなく平穏。食糧も防衛態勢も微塵のゆるみはない」(「広島 昭和二十年」より)
●帝国議会再開。小磯首相、陸海両相が戦意昂揚演説
 12日(月) ●広島、快晴。朝、約9000メートルの上空にB29の飛行機雲4条が見える(「広島 昭和二十年」より)
●航空機増産のため、アルミ貨の引き換え回収を強化
●「アンネの日記」のアンネ・フランクがベルゲン・ベルゼン収容所で死去。15歳
13日(火) ●前日の名古屋空襲(死者600人、全焼2万9000戸)に続き、大阪大空襲。B29、280機が襲う。死者約3000人、13万戸焼失、被災者70万人
●小磯首相が議会で演説。さらに、河原戦車部隊長の「武器なき者は泥を飛礫(つぶて)にしてでも敵戦車に体当たりする覚悟をせよ」など、軍人の号令がつづく(「広島 昭和二十年」より)
●女優・吉永小百合、東京で生まれる
14日(水) ●政府、「新聞非常態勢暫定措置要綱」を決定。空襲激化で通信、交通の断絶に備える。中央紙を移入させ、地方紙を母体にし1県1紙を実現することが目的。中央紙の人と物の節減も意図。中国新聞、山本利編集局長が応召(「広島 昭和二十年」より)
(※ 山本編集局長の応召日について、「もう一つのヒロシマ」は「3月20日」としている)
 15日(木) ●米スチムソン陸軍長官がルーズベルト大統領に、原子科学者の間で原爆
使用や管理について議論が起きていることを報告 (「年表ヒロシマ」より)
●東京、大阪、名古屋などの授業を停止し、学童疎開を徹底強化。「大都市における疎開強化要綱」を閣議決定
 16日(金) ●読売新聞に、「これがシャープ爆弾」の記事。米軍が投下するシャープペンシル、万年筆、チョコレートなどに仕掛けられた爆弾に注意を喚起、拾得物は「地中に」。清沢洌は、米軍投下のビラに対抗する日本側の宣伝とみる。「一般人をして、敵の投じたものを拾わせないための巧妙な宣伝だ!」(「暗黒日記」より)
●小磯国昭首相、天皇の「特旨」により、大本営に参加する
 17日(土) ●硫黄島の日本軍「玉砕」。栗林忠道中将から、指揮下の各部隊へ最後の指令。「戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ。兵団ハ本十七日夜、総攻撃ヲ決行」。戦闘は26日まで続く。日米で各2万人を超える戦死者(※ 栗林中将は17日付けで大将に「昇進」した)
 18日(日) ●17日の神戸大空襲(死者2600人)に続き、B29、1000機が大分など九州地方を襲う
●「決戦教育措置要綱」を閣議決定。国民学校初等科以外の授業を4月から1年間停止。学生は軍需生産、食糧増産、防空防衛などに動員される
 19日(月) ●米機350機が呉市を空襲。海軍施設と呉湾内の在泊艦艇(帝国海軍連合艦隊)などに攻撃。軍人を除く死者29人。呉攻撃の艦載機が広島市上空を飛ぶ。呉への大規模空襲は5月5日、6月22日、7月1-2日と続く。合計死者は約2000人(「呉空襲記」より)※参考・ホームページ「呉の戦災」(呉戦災を記録する会)
 20日(火) ●前日のグラマン来襲が中国新聞記事に。「醜翼来る、中国地区民奮然と戦う。緩めるな防衛の手、臨機応変、沈着冷静に・・・」(「広島 昭和二十年」より)
●米軍が撒く「謀略ビラ」を批判する毎日新聞の記事。見出しは「小癪、又ビラを撒く」(「暗黒日記」より)
 21日(水) ●流言蜚語を戒める「朝日」の社説。「赤飯とらっきょうを食えば爆弾に当たらない」の迷信紹介。見出しは「民心の奥に要塞を築け」(「暗黒日記」より)
●蒋介石の重慶政府との日中和平工作(「繆斌(みょうひん)工作」)失敗
●大本営、硫黄島からの17日の決別電報を公開、日本軍の「玉砕」を発表
 22日(木) ●大仏次郎の日記。「九州へ来襲した(米)機動部隊を味方航空隊が連日、追撃している。議会では、首相も陸軍次官も本土作戦の話をしている。平気なので呆れるくらいである」(「終戦日記」より)
●広島市第3次、呉市第4次の建物、人員疎開の準備作業始まる(「広島昭和二十年」より)
 23日(金) ●広島。曇り、のち快晴。「夕方大樹が揺れるほどの強風が吹く。きょう珍しくチヌ2匹が配給される。先週はイワシ一人5匹ずつ」(「広島 昭和二十年」より)
●国民決戦勤労動員令出る。特攻兵器生産、食糧増産などを重視
 24日(土) ●政府の情報局が、本土決戦に備え「国民義勇隊」を組織すると発表。23日に閣議決定された
●3月19日に続き、名古屋空襲。あわせて死者2400人
 25日(日) ●大政翼賛会広島県支部の岡田副部長(元中国新聞政治部)、国民義勇隊
について記者に語る。「義勇隊は各人の人格を尊重し、階級や身分は設け
ないだろう。フランスの人民戦線や毛沢東、周恩来の農民ゲリラをまねたようなものだ」(「広島 昭和二十年」より)
●米機動部隊が沖縄・那覇西方40キロの座間味島など慶良間諸島に上陸開始
 26日(月) ●第15回中国地方行政協議会、広島県庁で開かれる。生産防空、労務の機動配置、自給製塩、国民葬武装、被災者の処遇、工場疎開などを協議(「広島 昭和二十年」より)
●沖縄・慶良間島で53人、座間味島で約230人が「集団自決」(沖縄タイムス」 2006年8月15日)
 27日(火) ●大仏次郎書く。「東京では警報出ると焼けあとへ布団持ち出す。人の移動も山手や郊外へ向う者と、焼けあとこそ危険なしと逆に移動する者と交錯する。えんえんたる行列。ただ敗戦の形相なり」(「終戦日記」より)
●米軍が沖縄、慶良間諸島渡嘉敷島に上陸
 28日(水) ●大本営が、3日前の「米軍慶良間諸島上陸」を伝える。B29、北九州各地を空襲
●高倉テルの逃走援助で哲学者三木清、検挙される
 29日(木) ●中国新聞大佐古記者、ラジオ討論番組「断じて勝つ言論戦」に出演(「広島 昭和二十年」より)
●軍民一体の「決戦」政治をめざす「大日本政治会」結成。南次郎陸軍大将が総裁に就任
 30日(金) ●朝日新聞が、沖縄県民は「鉄砲がなければ竹やりで行こう、竹槍が折れたら唐手(からて)でいこう」と決意している、と書く(「暗黒日記」より)
●召集規制改正、満17、18歳の青年は徴兵検査未済のまま招集を実施
 31日(土) ●清沢洌、日記に書く。「国民の無知は想像以上である。浅草観音は大震災にも焼けなかったし、効験あらたかだから、今度(東京大空襲)も焼けまいと考えて、観音に駆けつけたものが多かった。その辺で死んだ者が多かった一原因だという」(「暗黒日記」より)
●連行朝鮮人労働者が全国炭鉱労働者数の33%を占める

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4月

1日(日) ●大仏次郎が書く。「きょうから東京の新聞を朝日一社で刷っている。その為締切早くなり(午後)4時半の発表、翌朝刊に出ていない始末、新聞もみょうなこととなりたり」(「終戦日記」より)
●沖縄本島に米軍1万8300人が上陸開始。輸送船「阿波丸」を米潜水艦が撃沈
2日(月) ●清沢洌が書く。「(これまでの)東京の空襲による被害は百億を算するだろうという。この方面にあった銀行の帳簿も、金も焼失し、全く整理がつかない。預金は忘れないが、借りたものは全く返す気遣いはない」(「暗黒日記」より)
●東京周辺に来襲のB29が時限爆弾を投下
3日(火) ●広島・大手町小学校の学童疎開で庄原に同行していた記者が話す。子どもたちは「昼はおはぎ、夜は風呂ではしゃぎまわっていたが、2日目の夕方から父母恋しさに泣き出す子もいた」(「広島 昭和二十年」より)
●大仏次郎、書く。「(近所の)老人を訪ねる。老夫婦、犬とともに住む。この犬も近く注射で殺さねばならぬという供出の命令あり。毛皮と皮の必要より」(「終戦日記」より)
●沖縄上陸の米軍、那覇市の北20キロの現沖縄市に到達
 4日(水) ●清沢洌が、書く。 「ラジオは報じて、今暁B29の来襲による軍事工場の被害はほとんど無かったと。空襲の実状を見た数十万のものは、当局の発表を信ずまい。戦争は、最も責任ある地位のものをして、途方もなく嘘をつかせるものである」(「暗黒日記」より)
●ハンガリー全土が「解放」される
 5日(木) ●中国新聞ビル(現・中区八丁堀)が、防空重要建物に指定される。類焼防止で周辺約100米、数10戸の民家、強制疎開(「広島 昭和二十年」より)
●44年7月発足の小磯(国昭)内閣、8ヵ月余で総辞職。大仏次郎、書く。「国民を浮腰にしただけの内閣なり」(「終戦日記」より)
●ソ連、モロトフ外相、「日ソ中立条約不延長」を通告
 6日(金) ●79歳の鈴木貫太郎大将組閣へ。大仏次郎、「驚いた国と謂うべし」(「終戦日記」より)
●戦艦 「大和」など10隻が、海上特攻隊として沖縄の敵泊地に突入すべしとの命令を受け、午後4時15分、山口県徳山沖から出撃
 7日(土) ●戦艦「大和」(65,000トン)が延べ500機の米軍機の攻撃を受け午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬西南西200キロで撃沈される。死者2740人、生存者269人
●広島に鈴鹿以西を担当の第二総軍司令部設置、畑俊六元帥が司令官に
●鈴木貫太郎内閣が成立
●大仏次郎が詠む。「疎開びと 箪笥を負いて 花の駅」(「終戦日記」より)
 8日(日) ●高見順、書く。「特攻隊の攻撃しきり。夜、久しぶりにラジオが海軍マーチ(軍艦マーチ)を伝えた。琉球の戦果発表。敵艦船34 撃沈破」、と (「敗戦日記」より)
●大仏次郎、書く。「空襲下、出した荷物をねらう賊が多い。帝国ホテルの毛布を巻いて出る客がある。(ある)女将、これでは日本は戦争に負けます、となげく」(「終戦日記」より)
 9日(月) ●曇りのち雨(広島)。大佐古記者が、書く。「流言防止週間が7日から始まっている。特高課に言わせると『流言やデマは今や新聞、ラジオ以上の迅速性と浸透力を持つようになった』そうだ」(「広島 昭和二十年」より)
●埼玉県で天然痘が続発。真性患者15人
 10(火) ●東京、雨。高見順が、書く。「桜は、春というと、こんな年でも、どんな年でも花をひらく。爛漫と咲いている。若い女性も次々と咲いて行く。自然と同じだ」(「敗戦日記」より)
 11日(水) ●清沢洌が、書く。「近頃僕は、下らない本を買う。大東亜戦争下にいかに下劣な刊行物が横行していたかを考証せんがためだ。しかし、最も不愉快な仕事だ。こんな書籍に書棚を貸せるのは嫌だ」(「暗黒日記」より)
●スペイン政府、対日外交関係断絶を発表
 12日(木) ●アメリカ、第32代大統領ルーズベルト(63歳、民主党)が動脈硬化症による発作で死去。後継大統領にトルーマン副大統領が就任
 13日(金) ●午前9時半ころ、B29が1万メートルの高度を東から侵入して、広島市内をS字型に南下したのち西方に去る(「広島 昭和二十年」より)
●東京空襲、皇居の一部、明治神宮本殿など焼失。死者約2500人。理化学研究所、ウラン分離筒ともども焼失(5月、陸軍が研究継続断念)
●ソ連軍がウィーンを占領
 14日(土) ●大佐古記者、書く。「いまごろはどの新聞記事も同じようになってきた。1面は政府や大本営の発表、それに情報局から出た指導記事。2面は特攻隊員の美談、軍人の談話、論功行賞、松根油や食糧の増産、供出、貯蓄、流言防止、防空、疎開など」。(「広島 昭和二十年」より)●国民義勇隊結成
 15日(日) ●京浜地区大空襲。13日と合わせ罹災者100万人以上
●吉田茂、憲兵隊に逮捕される。近衛文麿が2月、天皇に上奏した文書作成に関与したという嫌疑。(30日釈放)
●ソ連軍がベルリン攻撃を開始
 16日(月) ●米軍、沖縄・伊江島に上陸
●トルーマン米大統領、「日独の無条件降伏まで戦う」と言明
 17日(火) ●清沢洌が、書く。[沖縄の戦争は、ほとんど絶望であるのは何人にも明瞭だが、新聞はまだ、『神機』をいっている。無論、軍部の発表によるものだ。国民は、愚かな田舎人でもこれを信じまい。誰も信じないことを書いているのが、ここ久しい間の日本の新聞だ」(「暗黒日記」より)
●B29、100機が九州を空襲。沖縄海域の米艦船に特攻、つづく
※「神機」は、「霊妙なはたらき。はかり知ることができないはかりごと」(広辞苑) 
 18日(水) ●大仏次郎、書く。「新聞の経営が地方に分散することになりたる也。朝日は山形、群馬、新潟など。地方によっては中央からの勢力侵入を拒み、もめているところあり。静岡は読売が入ることになり、読売記者は入るべからずと札を出せしという。地方版が、なくなりしため、人の整理も行われている」(「終戦日記」より)
●広島市に第二総軍司令部設置。司令官に畑俊六元帥
●前日に続き、B29、100機が九州地方を空襲
 19日(木) ●大仏次郎が、書く。「5時のニュースに、軍艦マーチが奏された。空母5隻を撃沈したという大本営発表が報道された。新聞はいちように勝機が来たと書いてある」。朝日は「勝機の把握今にあり」、毎日は「勝機把握は今、一億『特攻』に徹せん」、読売は「今にあり勝機の把握」(「終戦日記」より)
●中国新聞、編集局芥川整理部次長ら9人が応召(「広島 昭和二十年」より)
 20日(金) ●読売新聞、トルーマンの演説と対照しながら、ヒトラーの布告を紹介。「単に祖国といふ空疎な概念を防衛するのではなく、諸士の国土を、諸士の妻や娘を、諸士の子供を、そして我々全体の未来を防衛することを誓ひ火の玉となって団結せよ」(「暗黒日記」 4月20日より)
●ソ連軍がベルリン東北11キロに迫り、市街地区に長距離砲弾落下
 21日(土) ●読売新聞が、すべての軍人に向けた「決戦訓」を掲載。その四に「皇軍将兵は体当たり精神に徹すべし。 悠久の大義に生くるは、皇国武人の伝統なり。皇土を侵犯する者、悉くこれを殺戮し、一人の生還、無からしむべし」(「暗黒日記」より)
●大蔵省、2000円紙幣の大量発行を決定
 22日(日) ●大仏次郎が、書く。「沖縄の敵が無条件降服したというデマがとび駅でマイクロホンで伝え、巡査までがそういって歩いたそうである。汽車の中では罹災者が総立ちとなり万歳を叫んだと。こういうデマを人が信じるのが奇怪なのである」(「終戦日記」より)
●ソ連戦車隊、ベルリン市内に突入
 23日(月) ●大佐古記者が書く。「(記者)クラブ一同は長野経済第一部長、長坂事務官らと西条に行き、独創寮で名士を交えて懇談。酒も料理もふんだんにあって、横山前知事が『私たちは食べ物に不自由していないが、東京の家族はみじめだよ』といった言葉を思い出す」(「広島 昭和二十年」より)
●大蔵省が「アルミ貨を航空決戦へ!」と朝日新聞にアルミ貨幣回収の広告
●トルーマン米大統領が、ソ連モロトフ外相にヤルタ会談の約束の厳守を通告 
 24日(火) ●沖縄の戦闘。南部の嘉数(かかず)高地(那覇市の南)を米軍が占領
●東京・立川、静岡・清水空襲。名古屋城の金のしゃち鉾、疎開のため取りはずす
 25日(水) ●スチムソン米陸軍長官とグローブス少将が、「4ヵ月以内に人類史上最も恐ろしい兵器が完成の見込み」とトルーマン大統領に報告
●ベルリンの南100キロ、東西からドイツ軍を追う米軍とソ連軍の将兵がエルベ川の橋上で出会う。「子供たちが再びたたかうことのないように」という「エルベの誓い」の原点
 26日(木) ●伊ファシスト党党首ムッソリーニ逮捕。連合国軍の進撃を避け、敗走するドイツ軍とともに中立国スイスに脱出する途中、レジスタンス運動のパルチザンに発見される
●沖縄の米軍、首里東北の中央高地に迫る
 27日(金) ●アメリカ、第1回原爆投下目標選定委員会会議。目標地研究地域として東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保をあげる
●松村光麿氏に代わる新任の大塚惟精広島県知事が広島に着く
●鈴木貫太郎首相、急迫する戦局について軍首脳部と懇談
 28日(土) ●清沢洌が、書く。閣議で「敗戦主義者」を全部検挙するという話が出たが、それでは6000万人くらい挙げないといけなくなるとなり、取りやめになった。正宗白鳥の話として、「ソ連大使館が疎開した軽井沢の万平ホテルのボーイはすべて日本の憲兵だ」そうだ(「暗黒日記」より)
●ムッソリーニ、イタリアの小さな村ドンゴで愛人クララとともに銃殺
29日(日) ●高見順が、書く。「統制下のラジオや新聞は名士と市井人を平均化する傾向を持っている。いわゆる名士の言葉は、内容、表現ともに千篇一律に陥っていて、国民はもう聞こうとしない。そこで、正直な文士の言を聞こうとする、文士がまた名士化している」(「敗戦日記」より)
●天長節(天皇誕生日)。鎌倉で「擲弾義勇隊」結成、擲弾筒投擲大会を開く
●南西海域での陸・海軍特攻続く。米軍、南九州に連日空襲
30日(月) ●朝6時45分、米機、広島市の中国配電(現・中区・中国電力)付近に10個の爆弾投下。死者10人。重軽傷者16人、建物全壊14戸、半壊15戸、被災者200人(「広島 昭和二十年」より)
●ドイツ、ヒトラー総統、前日結婚した秘書エヴァ・ブラウンとともにベルリンで自殺。遺言によりゲッベルスが首相に就任。イタリア戦線のドイツ軍、無条件降伏

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5月

1日(火) ●中国新聞山本利編集局長が軍務公用のため休職。広実正次長が局長に(「広島 昭和二十年」より)
●清沢洌が、書く。(知人の)井出氏が来宅し、「『どうしてドイツは頑張れなかったろう』と、どこでも不思議な問題として話し合っているそうだ。新聞が、常に(日本が)優勢らしく伝えるので、一般人にはそれが分からなかった。そして突如として現出した事件のように思うのだ」(「暗黒日記」より)
●ナチスドイツの宣伝相(1日だけの第3帝国首相)ゲッベルスが自殺
2日(水) ●ベルリン陥落。ソ連スターリン元帥、全市を完全占領と全軍に布告
●ヒトラーの後継者デーニッツ提督が、ヒトラーの死を国民に放送し、米英軍のみに降伏すべきことを全軍に伝えた
3日(木) ●「欧州戦急変するとも、戦争はあくまで完遂」と鈴木貫太郎首相が表明
●ビルマでは、日本軍が撤退したラングーンを英印軍が奪回、占領した。フィリピンでは米軍がミンダナオ島のダバオを占領した
 4日(金) ●中国新聞大佐古記者が、書く。「ドイツの敗北によってこれからの米英の総攻撃は対日戦一本に集中され、日本本土への上陸作戦が強行されるだろう。沖縄の戦況や本土への爆撃強化はその到来が近いことを物語っている。世界中を敵に回しての本土決戦に日本は果たして勝つ見込があるのだろうか」。(「広島 昭和二十年」より)
●政府が一般疎開を当分中止する「疎開応急措置要綱」を決定
 5日(土) ●B29、130機が呉市広町方面に侵入して爆弾投下。148機のB29が投下した爆弾は合計722発(578トン)。広第11空廠の工場施設は壊滅的打撃を受けた。犠牲者の数は少なくとも140人、被災者約1000人
●軍需省、6大都市以外のガス供給停止を発表。航空機と「電波兵器」製造にガスを供給 
 ※ 参考:呉空襲を記録する会のホームページ 「呉の戦災」はこちら
 6日(日) ●「九州はもうこの10日間、(米軍による)8連爆か9連爆で、飛行場附近を盛んにやっているらしい。瀬戸内海等ヘ、機雷投入を2日つづけてやった。尾道と四国との連絡船が停まったと新聞に出ていた」(「海野十三 敗戦日記」より)
●ドイツのデーニッツ総統が全独海軍に停戦を命令
 7日(月) ●広島・水主町の県庁で中国5県の知事が集まり座談会。中国新聞「(国民)義勇隊の構想」の連載記事になる。その目的は「一億皆働、生産期間
は即戦闘行為」(「広島 昭和二十年」より)
●フランスで、ドイツ国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードルが無条件降伏書に署名、ドイツ全軍の無条件降伏が決定
 8日(火)  ●大仏次郎、書く。「鉄線花11輪、書斎の窓から見下ろして艶である」、「正午頃、敵の小型機が百機房総を襲う。退去のとき、頭上を鼠色の雲よりも低く4機通って行った。(味方が)うつかなと思ったが鳴らぬ。通り過ぎてから、どこかでぽーんという(「終戦日記」より)
●トルーマン米大統領、日本に無条件降伏を勧告。ドイツの無条件降伏文
書が発効し、 ヨーロッパにおける第2次世界大戦が終了する
 9日(水) ●大佐古記者、広島・元安川河畔でインドネシア、マレーシア、フィリピンなどからの留学生(広島文理大特設学級)と話す。学生たち、「国からの便りが来なくなったので心配だ。食事はじゅうぶんにある」と(「広島 昭和二十年」より)
●政府が、ドイツの降伏後も「戦争遂行決意は不変」と声明
 ※原爆被爆した留学生たちの寮(興南寮)跡の説明版はこちら
 10日(木) ●徳山、大竹方面で空襲。大竹では100機以上のB29が来襲、精油所周辺に数100トンの爆弾を投下 (「広島 昭和二十年」より)
●新聞各紙、トルーマン声明のうち「無条件降伏」の部分を「省略」し、「連合国は勝利の半ばを勝ち得たに過ぎない」(トルーマン)を強調した記事
●米、第2回原爆投下目標選定委員会会議。投下目標地として京都、広島、横浜、小倉、新潟を設定
 11日(金) ●北海道で食糧開拓に従事する学徒屯田兵の第1陣700人が上野駅を出

●首相、外相、陸海両相など天皇召集の最高戦争指導会議
●米国務長官代理のグルーが、武器貸与法によるソ連への軍需援助打ち切りを声明
 12日(土) ●陸海軍報道部が合同して大本営報道部(情報局第1部)が発足した。部長は陸軍の松村秀逸少将
●米、原爆投下目標に関連して京都、広島、横浜、小倉に爆撃禁止命令
 13日(日) ●鎌倉・鶴岡八幡宮の脇に、川端康成らと開いた貸本屋「鎌倉文庫」に歩いて向かう高見順がつぶやく。「何事も我慢だ。人生は我慢のつづきだ」(「敗戦日記」より)
●政府が和平工作の検討を始める
 14日(月) ●B29、480機、名古屋空襲。名古屋城天守閣も爆撃で破壊
●最高戦争指導会議で対ソ交渉方針が決定され、終戦工作が始まる
●オーストリア民主共和国が成立
 15日(火) ●中国新聞・大佐古記者、広島・東洋座で映画「日本ニュース」を見る。「反撃ルソン戦線」「靖国神社の臨時大祭」「満州国張総理来訪」「大東亜会議」など。「冗長で迫力なし」と感想(「広島 昭和二十年」より)
●「新聞配達挺身隊」を男子児童から女子児童に切り替え
 16日(水) ●大佐古記者が、書く。「竜野参事官の部屋で行政協議会の各委員へ配布
するマル秘文書『独屈服に対する措置要綱』『最近の重要物資需給情勢』
を見る。参事官は私が要点や数字をメモするのを黙認してくれる。信用さ
れていることはうれしい」(「広島 昭和二十年」より)
●竹と紙によるドラム缶を発明した航空技術大尉が、陸相から技術有功章
受ける。
 17日(木) ●B29、500機により名古屋に空襲、死者500人。熱田神宮炎上
●沖縄で激戦続く。米軍、首里東北の高地に進入
●神戸沖、朝鮮西海岸などで、米軍機雷による貨物船爆沈、相次ぐ  
 18日(金) ●米軍、第509混成部隊の第1陣がテニアン島に到着。続いて、ニューメキシコ州ロスアラモスから物理学者、化学者、数学者、技術者の一隊が合流(「破滅への道程」-年表ヒロシマより)
●文部省が、工場などが罹災しても動員学徒は勝手に引き揚げてはならぬ
と通達
19日(土) ●大佐古記者、日記に書く。「来週から県下の学童が食用野草の採取に動
員される。一人当たり80貫(300キログラム)から100貫を集めさせ乾燥して200万貫の粉末や切り干しを作り、主食に混ぜたり、野菜の代用にする予定」(「広島 昭和二十年」より)
●運輸通信省を廃止、「運輸省」設置を公布
 20日(日) ●全国のタバコ店でアルミ貨幣の回収運動開始。明治神宮発行の一枚刷り戦時型暦を復活、家庭配布が決まる
 21日(月) ●評論家、ジャーナリスト清沢洌死去。「 暗黒日記 昭和17年12月9日~20年5月5日」の筆者
●農商務省が、農村の手不足を緩和するため、農家出身の徴用工員を帰農させる措置を決定
 22日(火) ●大仏次郎、書く。 「百姓は、負けても自分たちは悪くはならぬと確信している。 戦争に勝つと考えているものは農・工を通じて皆無だという」(「終戦日記」より)
●戦時教育令公布。全学校と職場に学徒隊設置へ
●全国で、映画館22館を復活 
 23日(水) ●米機525機、東京南部・横浜空襲
●大仏次郎が、書く「深夜250機の敵襲ありて起される。探照灯内に敵機見え、新しき高射砲と見し花火の雨の如き美しきもの、翌日12社に落ちし焼夷弾と知る(「終戦日記」より)
 24日(木) ●中国憲兵隊司令部から中国新聞広実編集局長らに出頭命令。大佐古記者が書いた「陰陽連絡の強化と境港の輸送力強化」の文字が、軍用の港 や道路を故意に公開したことになり、軍機保護法と軍用資源秘密保護法 に抵触する、という。主筆らが憲兵隊へ行って陳謝。「敵はもう毎日のように上空まで来て母屋に火がつこうとしている」(大佐古)のに(「広島 昭和二十年」より)       
 25日(金) ●東京大空襲。皇居表宮殿など爆撃で炎上。都区内の大半15万7000戸焼失
●鎌倉にいた高見順が東京空襲を見る。「焼夷弾が空の途中でピカッ、ピカッと光って炸裂して、尖った蜘蛛の巣が落ちるような形でゆるゆると地上へ迫っていく。音は全然聞こえない。光だけだ。それ故、この世の出来事ではないような凄惨な怪奇さだ」(「敗戦日記」より)
 26日(土) ●東京都下の罹災者救援のため神奈川県が「炊事挺身隊」を動員。握り飯
を作って東京に送る
 27日(日) ●25日の東京空襲で東京新聞、読売新聞が焼失したため、朝日、日本産
業経済、毎日の合わせて5紙が共同して新聞出す。その名は「決戦新聞 」
 28日(月) ●第3回米原爆投下目標選定委員会、投下目標地として京都、広島、新潟を検討
●米高官、ジョセフ・グルーが「無条件降伏の方針を修正して天皇制を容認する条件を示す演説を行うべき」とトルーマン大統領に進言
●モスクワに派遣された米大統領特使ハリー・ホプキンスが、スターリンとの会談で「ソ連は8月8日以降、満州に攻撃開始する」と大統領に報告
 29日(火) ●「神雷特攻隊」の全容を海軍省が発表。南西基地から帰還した作家、川端康成、「神雷こそ恐るべき兵器だ。この兵器が前線に来たとき、わが精鋭は勇気百倍した。これさえあれば沖縄周辺の敵艦船群はすべて海の藻屑に」と語る(「広島 昭和二十年」より)       
●沖縄の第32軍、首里より撤退開始。3度目の横浜空襲、市街地の3分の1焼失
 30日(水) ●モスクワを訪問中の米政府特使ホプキンスが、米英ソ首脳会談を7月15日頃とすることをスターリンに伝える
●首里を撤退した沖縄第32軍、早朝に摩文仁(まぶに)に到着
 31日(木) ●原爆に関する諮問・提言機関である米政府暫定委員会で、原爆投下の 「最も望ましい目標は、極めて重要な軍事工場であり、かつ大勢の従事者が働いており、従業員の住宅に隣接して囲まれているような所」と確認
●沖縄の米軍、那覇・首里に進出。義勇隊第1号として「大蔵省国民義勇隊」結成

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6月

1日(金) ●前日広島市内に米機B29がまいた宣伝ビラを、警察署員、消防団員が回収。ビラは偽の10円紙幣ほか10種類。5月21日以降、県下に撒かれたビラ合計10万7000枚を回収した(「広島 昭和二十年」より)
●米政府暫定委員会(スチムソン委員会)、「できるだけ早く日本に原爆を投下」を大統領に勧告することを決定
2日(土) ●1日の大阪空襲について各紙が伝える。(後に判明したことは)B29など450機が来襲、死者3000人、焼失家屋は6万戸、22万人近い被災者
●東京都内の銀行が各被災地に共同店舗を開設
3日(日) ●青森市内の女子中学生70人が連隊区司令部に1ヵ月交代の出張手伝いを申し込まれる
 4日(月) ●シカゴ大学冶金研究所で物理学者ジェームス・フランク、レオ・シラード、ユージン・ラビノビッチらが対日原爆使用反対会議を開く
●皇居大宮御所が空襲で焼失した責任を取り、宮内大臣松平恒雄が辞任
 5日(火) ●神戸、御影、芦屋など阪神沿線にB29、350機来襲
●米英仏ソ4国がドイツを直接統治する旨の宣言、ベルリンで発表される
6日(水)  ●沖縄方面海軍司令官大田実少将、海軍次官宛の手紙で、沖縄県民が総力を挙げて海軍に協力したことを書き、最後に「沖縄県民斯く戦ヘリ。県民ニ対シテ後世特別ノ御高配ヲ賜ヘリ」と結ぶ
●最高戦争指導会議始まる
 7日(木) ●応召の中国新聞・三木上等兵が一時、社に帰り大佐古記者に言う「本土決戦になると、兵隊も地方人も区別はないが、自分は肩書きや星の数で人間を区別する軍隊生活がいやだ。君とこうして話していると、やっと人間社会にいるという気持ちになる」 (「広島 昭和二十年」より
●沖縄海域で特攻が続くなか、「菊水9号作戦」始まる
●B29、250機が大阪空襲、死者・行方不明者2300人
●哲学者・西田幾多郎死去
 8日(金) ●天皇出席の最高戦争指導会議が、本土決戦準備の「今後採るべき戦争指導の基本大綱」を採択。「国体護持、征戦の目的達成」の一方で、対外諸施策、特に対ソ・対支の施策の強力な実行を期すとした
●第87臨時議会召集。鈴木首相、沖縄戦の不利を説き、国民の奮起を要望
 9日(土) ●15歳から60歳までの男性、17歳から40歳までの女性を国民義勇隊に入れる国民義勇兵役法案、戦時緊急措置法案など帝国議会に提案
●内大臣木戸幸一、戦争終結のための私案を天皇に提出。「ソ連に和平の仲介を求める」計画案。首相、外相、陸海軍相にも示す
 10日(日) ●中国新聞社国民義勇隊が初会合。大本営が長野・松代に大地下壕をつくり、同盟通信は蓼科山麓に移転の準備、などの話が出る。(「広島 昭和二十年」より)
●地方行政協議会に代り全国8地区に地方総監府設置。広島市に中国地方総監府。大塚惟精広島知事兼地方行政協議会長が総監となる。高野源進が知事に
 11日(月) ●関東地方一円にB29、300機。空襲により国会(帝国議会)が午前中休会
●4月23日から50日間、延安(中国)で開かれていた中国共産党第7回全国代表者会議が終了
●日本に対する原子爆弾の無警告での使用に反対する「フランクレポート」(シカゴ大学に設けられた7人の科学者による委員会が、原子エネルギー、特に原子爆弾の社会的、政治的影響を検討して大統領の諮問委員会に提出の報告書)が提出されたが、提議は拒絶された
 12日(火) ●「本土決戦」に備え、軍需生産の増強や秩序維持の確保を目的とする戦
時緊急措置法成立
 13日(水) ●大政翼賛会・翼賛壮年団・大日本婦人会などを解散、「国民義勇隊」に統合
●6月6日、海軍次官宛に手紙を書いた大田実海軍少将、沖縄・那覇小禄
地区豊見城の海軍壕内で拳銃により自決
●日比谷公会堂で戦前最後の日響(日本交響楽団)定期演奏会。尾高尚忠指揮ベートーベン第9交響曲演奏  
 14日(木) ●長岡市が7万市民の塩を自給しようと製塩場を買収、生産に乗り出す
●千葉県、戦争に直結しない学校科目を停止
 15日(金) ●高野源進広島県知事が初登庁、「民の信頼を得よ」と訓示する。(「広島 昭和二十年」より)
●B29、阪神、和歌山を空襲。以後、米軍は中小都市へも空襲目標を拡大
●山田耕筰らによる「音楽挺身隊」、戦災地区の慰問を開始
 16日(土) ●中国新聞が社員(義勇隊員)に国民義勇隊の隊則・編成表を渡す。義勇
隊は364人、山本隊長のほか幕僚、参与、3個中隊、9個小隊、30個分隊を置く。大佐古記者「人の心を無視したこの機械主義的な制度で果たしてどの程度統御できるものか」と書く(「広島 昭和二十年」より)
●東京で、都民食堂に代わる「外食券食堂」が600軒開店
 17日(日) ●大仏次郎が書く。「特高が訪ねてくる。勝つと思うか、負けると思うか。露西亜(ロシア)とはどうすればよいか、重慶・延安(政府)とは如何と云うような質問である」(「終戦日記」より)
●B29、450機が夜間、鹿児島・大牟田、浜松・四日市を爆撃
●輸送難のため青森市が木炭のイカダによる海上輸送を決行
 18日(月) ●沖縄・摩文仁の洞穴で負傷兵看護にあたる師範女子部、第一高女の「ひ
めゆり部隊」に解散命令。23日にかけて多くの生徒が集団自決
●米、トルーマン大統領らが出席する対日戦略最高会議で「9月1日の九州上陸(オリンピック作戦)」、「ロシアの参戦と日本の降伏」などを検討 (「哲野イサクの地方見聞録」より)
 19日(火) ●沖縄・摩文仁で陸軍司令官牛島満、東京の参謀次長宛「決別電報」打 

●ビルマ(ミャンマー)、ラングーンでアウン・サン・スー・チー誕生
 20日(水) ●県庁内(水主町)に設置されていた中国地方総監府が広島文理科大学 
(千田町)の本館2、3階に移転。取材先が分散し、記者クラブは有名無実となる
 21日(木) ●生き残った沖縄守備隊や学徒兵などが全滅。沖縄の戦闘で、住民10万
人、日本軍11万人死亡(諸説あり)。米軍沖縄列島副司令官、軍政府を統括。米陸軍による沖縄占領統治
 22日(金) ●最高戦争指導会議(鈴木貫太郎首相ら6人)の席上、天皇が終戦工作を
指示。「時局収拾につき考慮することも必要なるべし」と
●本土の戦いに備えるとして、政府・地方機関が超法規的措置を取れる戦時緊急措置法を公布。
●B29、290機、呉海軍工廠、音戸町など爆撃。死者400人
 23日(土) ●大本営が「本土防衛のために捨て石にする」とした沖縄戦終わる。日本軍11万人、住民15万人が死亡。軍司令官牛島満大将ら自決(「昭和史残日録」より)
●中国地方総監府開庁式。中国軍管区司令官に藤井洋治陸軍中将が就任
●国民義勇兵役法が公布される
 24日(日) ●東京・神田の戦災地で、茨城の少年農兵隊が20坪の水田を作り田植え
 25日(月) ●同盟通信中村敏記者の案内で中国新聞山本実一社長らが第二総軍司令部(広島・二葉の里)の畑元帥を表敬訪問。畑の「今までのところ、この戦争は負けだなあ。大変なことだよ・・・」の言葉に、山本社長の手がぶる
ぶる震える。 (「広島 昭和二十年」より)
●大本営、沖縄戦について発表。「玉砕」は使わず、「最後の攻勢を実施せり」と。関東信越地方軍需監理局が、「隠退蔵物資の戦力化」を訴える
 26日(火) ●前日の第二総軍畑元帥の言葉を受け、大佐古記者が日記に書く。「無念なことではあるが、一日も早く終戦への道を選ぶべきではあるまいか」(「広島 昭和二十年」より)
●B29、1機が初めて北海道に来襲
●サンフランシスコ会議で国際連合憲章成立、国連が誕生
 27日(水) ●銀座の焼け跡でデパートが「焼跡売場」を急造。荷札、台所用品、薬品など販売
●米上院、日独の在米資産の処理について公聴会
 28日(木) ●東郷茂徳外相、ソ連に対する政府の「終戦工作案」を特使の広田弘毅元
首相に示す
●B29、佐世保を夜間焼夷弾攻撃。死者1030人、被災者約6万人。
●米軍、フィリピン・ルソン島の戦闘終了を宣言。ルソン島での戦没者約30万人、フィリピン全土では約50万人
 29日(金) ●岡山空襲。小泉県知事は疎開先の小学校2階から市内を見ながら「はっ、はっ、はっ・・、これが戦争の実態だよ」と寂しく笑う(「広島 昭和二十年」より)
●合同新聞(現山陽新聞)が社屋を全焼、「新聞相互の援助契約」により、朝日、毎日が各5万部、中国が8万部を代行印刷
●広田弘毅元首相が、「終戦工作案」を マリク駐日ソ連大使に手渡し、交渉開始
30日(土) ●秋田県花岡鉱山で強制労働中の中国人850人が蜂起、収容所を脱走。
軍隊など出動し、鎮圧。400人以上が虐殺される。(花岡事件)

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7月

1日(日) ●呉市街地、深夜空襲受ける。B29が周辺部から中心部へと焼夷弾を投下、死者、行方不明者約2000人の被害 (「呉空襲記」より)
●輸送力低下を避けるため、自動車の運転手が事故で運転停止を求められた際、一定期間を執行猶予とする執行猶予制を採用(「広島 昭和二十年」より)
2日(月) ●中国新聞、温品(広島・東区)の川手牧場へ輪転機を疎開開始(8月2日まで)
●陸軍が部隊現地自給用「簡易木炭ガス発生装置」を開発、一般に公開
 3日(火) ●米統合幕僚長会議で、京都、広島、新潟、小倉の爆撃禁止を命令。ジェ
ームズ・バーンズが米国務長官に就任。米英仏ソの4大国がベルリンを共同管理する
●日本の閣議、主食配給量の1割削減決定
 4日(水) ●米機B29、P51が姫路・高松・徳島・高知に夜間焼夷弾爆撃。高松市死者1316人、高知市401人、姫路市490人(通算)、徳島市741人(通算)。地方都市爆撃が続く
 5日(木) ●関東軍、防衛範囲を縮小した対ソ連作戦を決定
●東京・日本橋の白木屋百貨店が1等10万円の勝札(宝くじ)の予約受付
 6日(金) ●中国軍管区参謀長に、大本営報道部長の松村秀逸少将発令
●甲府、千葉、清水、明石など、地方都市への焼夷弾爆撃続く
●約200世帯でつくる「拓北農兵隊」、北海道へ出発
 7日(土) ●日本海軍による初のロケット機「秋水」の試験飛行失敗、墜落。パイロットの犬塚豊彦大尉、頭蓋骨折で死去
●戦争のための食料・軍需物資の供出、生産資材の統制を行なう「戦時農
業団」令が公布される
 8日(日) ●横浜地検が、馬鈴薯を盗んだ工員を撲殺した自警団員を「正当防衛に準
ずる」として起訴猶予にする
●東京都、「雑草の食べ方」の講習会を始める
●高見順が書く。「戦争は人類の疾病だ。戦後、戦勝国と敗戦国を問わず、世界は人間の再建に取りかからねばならぬ。人間は生きねばならぬ。健
康を取り戻さねばならぬ」 (「敗戦日記」より)
 9日(月) ●徴用工に「にせ診断書」を発行し、「生産現場」から離脱させ不当に診療費をとった医者を逮捕
●B29が、和歌山、堺、岐阜、四日市を夜間爆撃。和歌山市の死者1100人、岐阜市死者860人。堺市死者、通算1900人、四日市は通算800人となる
●米軍、日本海側と北朝鮮の港湾に機雷敷設。以後、終戦まで計3500筒を投下。1万2000筒との説もあり。(「天皇の終戦」より)
 10日(火) ●米軍、原爆投下訓練のため、黄色に着色された模擬爆弾(パンプキン)投下開始
●米機動部隊、関東各地空襲。仙台の空襲で瑞鳳殿ほか焼失
●日本の最高戦争指導会議、終戦斡旋依頼のため、ソ連に近衛文麿の派 遣決定
 11日(水) ●広島・高田郡下根に建設中の飛行場について、大佐古記者が書く。「既に600メートルの滑走路が完成。二期工事には中学生を中心に、双三、高田、山県(郡)などの義勇隊、延べ10万人が動員される予定」(「広島 昭和二十年」より)
●食糧配給1割減、大人一日2合1勺に
 12日(木) ●天皇が、近衛文麿に終戦斡旋依頼のためのモスクワ行きを要請。佐藤尚武駐ソ大使がモロトフ外相に会見を申し入れ。ソ連外務省は「都合がつかない。ロゾフスキー外務人民委員代理に用件を伝えてほしい」 と外相との会見拒否
 13日(金) ●前日の近衛文麿特使のソ連派遣を、マリク駐日ソ連大使に申し入れ
●米・陸軍情報部は日本の外相から佐藤尚武ソ連大使への「大至急・親 展」の電報,を傍受、解読。 (「原爆を投下するまで 日本を降伏させるな」 より) 米首脳は、ポツダムに出発
●降伏したイタリアが、連合国側に立ち、対日宣戦布告
●B29、愛知・一宮市を焼夷弾爆撃、被災者5万人、死者727人
 14日(土) ●青函連絡船「翔鳳丸」など9隻、米艦載機の攻撃を受け沈没。青函連絡船壊滅。釜石の製鉄所、艦砲射撃で攻撃
●ドイツのソ連占領地区で、反ファシズム民主主義政党統一戦線結成
 15日(日) ●(広島)曇り、一時小雨、気温29.6度。「勝札」(宝くじ)が、きょうから売り出され、勧業銀行前には長い列。1等10万円も魅力だろうが、むしろ純綿キャラコ、革靴、地下足袋、ズルチンといった副賞が人気を呼んでいる(「広島 昭和二十年」より)
●米機動部隊、東北、北海道南部を空襲
 16日(月) ●米ニューメキシコ州アラモゴードで、初の原子爆弾(プルトニウム爆弾)の実験。ポツダム滞在のトルーマン大統領らに、「実験成功」伝わる
 17日(火) ●米トルーマン、英チャーチル、ソ連スターリンが出席のポツダム会議開催。スターリン、「対日参戦は8月中旬」とトルーマンに伝える
●シカゴ大学冶金研究所のアーサー・コンプトン所長が、同研究所の学者67人 が署名した対日原爆使用反対請願書を、ジョージ・ハリソン陸軍長官顧問に 提出
 18日(水) ●米巡洋艦「インディアナポリス」、サンフランシスコ海軍基地から「リトルボーイ」を積んでテニアン島に向かう。(「もはや高地なし」より)
●終戦斡旋依頼のための近衛文麿のモスクワ行きを,「(特使の)性格が不明確」として、ソ連が拒否
 19日(木) ●大仏次郎が書く。「1日に千機を越える敵が日本の空を飛び回っている。本土にまでこう簡単に艦砲射撃を受けるとは(日本の)軍艦はなくなっている事実を国民に明瞭に感じさせた」(「終戦日記」より)
●B29が福井・日立・銚子・尼崎・岡崎など爆撃。日立市の死者通算1200人、岡崎市200人、福井市1600人
●警官の夏の白服が「敵機の目標になる」として黒服に
20日(金) ●毎日新聞重富記者が大佐古記者に、「マッチ箱一つの容量で、軍艦を2
キロも上空へ吹き飛ばす爆弾がまもなく日本で生まれる」と、得意気に話
す。出所を聞くと「東京情報だ」と口を濁す。(「広島 昭和二十年」より)
●米機、東京にパンプキン爆弾投下。各都市に49発
●広瀬豊作蔵相、悪性インフレを防止するため、統制価格を廃止して自由
価格の導入を閣議で提言
 21日(土) ●ハリソン米陸軍長官顧問が原爆投下の第一目標を京都と提案するが、 
ポツダムにいたスチムソン陸軍長官が「反対」の返電
●湯川秀樹らが出席して、京大と海軍が第1回原爆開発会議。海軍側がウ
ラン鉱入手不可能として開発は棚上げ
 22日(日) ●ポツダムの米英ソ3国首脳の第6回会議。ポーランド国境問題議論、進展なし。トルーマン、バーンズら米代表の関心事は原爆投下計画の進展のみ(「原爆を投下するまで 日本を降伏させるな」より)
●新聞投書欄を高見順が書き記す。「報道陣や指導者にお願いがある。 『神機来る』『待望の決戦』『鉄壁の要塞』『敵の補給線』等々、何たる我田引水の言であろう。かかる負け惜しみはやめてもらいたい」(「敗戦日記」より)
 23日(月) ●ポツダムにいた米スチムソン陸軍長官が「8月1日から10日の間に原爆投下作戦実施が可能」の報告を受ける。22日の目標選定委員会は広島、小倉、新潟、長崎を決定
●中国新聞、広島・温品への輪転機移転のため、馬車などへの積み込み始める。第104部隊兵士10人が手伝う(「広島 昭和二十年」より)
 24日(火) ●米機、早朝6時から呉湾、呉市を爆撃。航空母艦「天城」、戦艦「日向」「伊勢」など多数の艦船沈む。29日までに1300機が攻撃参加 (「呉空襲記」より)
●ポツダムで、トルーマンがスターリンに「異常な破壊力がある新兵器をもっている」と伝える
 ※呉空襲を伝えるホームページ「呉の戦災」はこちら  
 25日(水) ●米ハンディ参謀本部作戦部長が戦略空軍司令官スパッツ将軍に「8月3
日ごろ以降、天候が目視爆撃を許す限り、なるべく速やかに最初の特殊 
爆弾を次の目標の一つに投下せよ」と命令。目標は広島、小倉、新潟、長
崎。広島、小倉、新潟への(原爆以外の)爆撃禁止を解除
●米軍機2000機、名古屋、和歌山、大阪、神戸、姫路などに猛爆撃
 26日(木) ●対日ポツダム宣言が、米トルーマン、英チャーチル、中華民国蒋介石の
3国首脳名で発表される。サインはすべてトルーマンの筆跡。「天皇制維持」の言葉なし
●米巡洋艦インディアナポリスがテニアン島に原爆(リトルボーイ)を積みおろし
●広島・戸河内町、浅原村に2万枚の米宣伝ビラまかれる
 27日(金) ●沖縄発進の米戦闘機と爆撃機の連合部隊、九州各地を機銃爆撃
●英チャーチルに代り、アトリー労働党内閣成立
 28日(土) ●鈴木貫太郎首相が、記者会見で米英中によるポツダム声明の「黙殺」を
発表
●呉など空襲続く。広島県内に艦載機、爆撃機など1100機が来襲
●広島市上空で被弾したB24が佐伯郡八幡村に、また、B24・ロンサムレディーが山口・玖珂郡伊陸村に墜落。捕らえられた米兵、広島市の中国憲兵隊に移送。(「広島 昭和二十年」「爆撃機ロンサムレディー号~被爆死したアメリカ兵」より)
 29日(日) ●前日、山口県玖珂郡山中に墜落したロンサムレディ号のライアン爆撃士を逮捕
●B29、20機、B24、30機、戦闘機F4Fなど60機が呉市付近に来襲
●軍需省、銅くずを1貫目3円50銭での買い上げ実施。戦災地から毎日
3万貫を回収していると発表
 30日(月) ●スチムソン米陸軍長官が、米政府の原爆投下後に出す「広報発表」案を、ポツダムにいるトルーマン大統領に送る (「哲野イサクの地方見 聞録」より)
●農務省(日本)が「どんぐり」の食料化方針を決める。今年の採取目標を500万石(75万トン)以上とする
31日(火) ●中国新聞の子会社である呉新聞の題号を「中国新聞」と変えて発行する
よう、総監府から特高課を通じて命令。呉新聞が空襲で発行不能となった
ため (「広島 昭和二十年」より)
●八丈島から無電で「敵艦3700隻が北上中」の知らせ。敵の関東地方への上陸かと兵士が非常召集されたが、「夜光虫」を艦船と見誤ったことが判明。大仏次郎は「惨憺たる喜劇である」と書く。横須賀鎮守府は「演習だった」と新聞記者に話す(「終戦日誌」より)

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8月

1日(水) ●テニアン島で「リトルボーイ」の組み立て完了。新潟が投下目標から除外される。
●原爆使用に抗議するレオ・シラードの嘆願書がグローブス少将からスチムソン陸軍長官に渡される。
●B29が福山を中心に、広島県下に8万枚のビラをまく。
●「ボイス・オブ・アメリカ」が「8月5日に特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島から逃げていなさい」という放送を数回繰り返した。(「原爆予告をきいた」、宮本広三の手記より)
2日(木) ●グアムの米第20部航空隊司令部が原爆投下作戦命令を出す。「8月6日、攻撃目標は広島市中心部と工業地帯」。(「もはや高地なし」より)
●ポツダムでの米英ソの首脳会談終わる。ドイツの戦後統治について共同声明。
●中国新聞大佐古記者に召集令状。「8月17日午前8時、中国第104部隊に」。明治8年生まれの母親は「無理はせんように・・、体に気をつけて早う帰ってくれんさいや」を繰り返す(「広島 昭和二十年」より)
3日(金) ●日赤病院の義勇隊本部から、中国新聞社国民義勇隊に対し、「4日から8日までの4日間、水主町(現・加古町)県庁付近一帯の建物疎開作業に、80人の隊員を出せ」の命令(「広島 昭和二十年」より)
 4日(土) ●広島、晴れ。夕方一時曇り、にわか雨があり、しのぎよくなる。前日の義勇隊80人動員命令に、中国新聞義勇隊の村上主筆らが抗議。在広他社
の支局員を含め46人となる (「広島 昭和二十年」より)
●テニアン島のB29搭乗員が「原爆実験」の映画を見る。ポール・ティベッツらは太平洋上で原爆投下訓練。 (「もはや高地なし」より)
 5日(日) ●午後9時20分頃、米軍少数機が瀬戸内海上空に入ったという情報で、警戒警報、空襲警報発令。中国新聞の当直者が各階、屋上に散る。まもなく解除され、11時から小夜食。全員にうどん一杯の雑炊とハートウィスキーが湯のみに半分ずつ支給。午前0時過ぎにも空襲警報。「わずか1機、2機が出たり入ったりする神経戦で、だれもがうんざりする」(「広島 昭和二十年」より)
●午後11時、テニアン島でポール・ティべッツが約100人の兵士に「合流地点、硫黄島。攻撃順位、広島、小倉、長崎」を伝える。午前1時37分、偵察機「ストレート・フラッシュ」など3機が日本に向け飛び立つ(「もはや高地なし」より)
 6日(月) ●8時15分17秒、エノラ・ゲイは、広島の上空9600mでウラニウム型原爆「リトル・ボーイ」を投下、高度580mで炸裂する。11月までに死亡した人は14万人、5年後の1950年までには24万7000人に達する。
●中国新聞、NHK広島放送局壊滅。広島県庁、県防空本部を比治山、多 聞院に移設。呉海軍工廠の調査隊5人が広島入り
●午後6時、広島地方以外のNHKラジオ、「8月6日午前8時20分、B29数機が広島に来襲、焼夷弾を投下したのち、逃走せり。被害状況は目下調査中」と放送
 7日(火) ●大本営、「新型爆弾」による広島爆撃を発表。高野県知事、「戦意の 破
砕を図る敵の謀略。ひるむことなく救護、復旧を」と布告(知事諭告)。県庁、県防空本部を下柳町、東警察署に移転
●中国新聞、「口伝隊」によりメガホンによる市民への「報道」開始。
●原爆投下から16時間後、日本時間午前1時半過ぎ、米トルーマン大統領がホワイトハウスで声明。サンフランシスコ放送が伝える。「日本の重要軍事基地広島に1個の爆弾を投下した。日本政府が降伏しなければ、さらに原爆で攻撃」と警告
 8日(水) ●大本営の有末精三を団長とする広島爆撃調査団が広島入り。陸・海軍の調査団も広島入り。山陽本線開通
●防空総本部、新型爆弾に対する「心得」を発表
●B29、91機が福山市を空襲、300人以上が死亡
●中国新聞が朝日、毎日両紙に続き、島根新聞に代行印刷を依頼
●ソ連が対日宣戦布告
● トルーマンが国連憲章に署名する
 9日(木) ●B29「ボックス・カー」が午前11時2分、長崎にプルトニウム原爆「ファット・マン」を投下。原爆は地上503mで炸裂。12月までの死者8万人以上
●大本営調査団の一員として理化学研究所仁科芳雄博士広島入り
●ソ連軍が満州、樺太に進軍する
●午後11時から、日本の最高戦争指導会議による御前会議。ポツダム宣
言受諾に際し、国体維持だけを条件とする東郷外相案と、他の3条件を加
えることを主張する阿南陸相案が対立。会議は10日、午前2時まで続く●中国新聞は朝日、毎日、島根の各紙代行印刷で被爆後初めて発行
●哲学者・戸坂潤、特高警察に捕らえられ長野刑務所で獄死
 10日(金) ●午前2時すぎ、御前会議が国体維持だけを条件とするポツダム宣言受諾
決定。同盟通信とNHKが午後8時過ぎ、海外向けに打電、放送する
●陸軍調査班、レントゲンフィルムにより、広島で放射能の存在を確認
●広島・比治山国民学校に、孤児収容保育所を設置
●日本政府、スイスを通じ原爆使用に抗議
 11日(土) ●新聞に初めて「原子爆弾」の文字。トルーマンの演説を報じる外電を引用した
●朝日新聞東京版が、政府情報局の下村総裁談「戦局は最悪の状態」を伝え、同じ1面で、阿南陸相の「死中活あるを信ず」と、全将兵に向けた訓
示を掲載
●防空総本部が、第3次の「新型爆弾に対する心得」発表
●米軍機、久留米市を爆撃。死者200人以上    
 12日(日) ●日本政府のポツダム宣言受諾の条件に対し、バーンズ米国務長官が「実
質承認」と回答したことをサンフランシスコ放送が放送。放送を同盟通信受信。公電も到着
●朝日新聞(東京版)が、初めて長崎の「新型爆弾」を報道
●高見順が日記に書く。「きょうもラジオは何も告げない。9時のニュースは簡単な対ソ戦の戦況と、米作に関するもの、タイの邦人企業整備のこと。3つでアッサリ終わり」(「敗戦日記」より
 13日(月) ●御前会議・閣議が、連合国の回答をめぐり紛糾する
●陸軍省の軍務課竹下正彦中佐、畑中健二少佐らが、降伏阻止のため、「天皇を宮中に軟禁し、和平派(降伏を支持する人たち)を兵力をもって隔離し、戒厳令に入る」計画を確認
●B29、日本が「無条件降伏した」むねの宣伝ビラを関東一帯に撒く
 14日(火) ●御前会議でポツダム宣言受諾を改めて決定し、連合国へ申し入れ。天皇
が終戦詔書を発布し、放送用に録音
●陸軍の畑中、窪田少佐らが「終戦阻止」の行動。広島から、この日上京した第二総軍参謀白石通教少佐、近衛第一師団の森赳師団長の2人を殺害。「行動」は失敗に終わる
●米軍機、岩国など空襲。山口・光市で700人、大阪中心部で300人以上が死亡
●中ソ友好同盟条約調印。ベトナム全土で武装蜂起が開始される
 15日(水) ●正午から、天皇による「終戦の詔勅」をラジオ放送。アジア・太平洋戦争終結。鈴木貫太郎内閣総辞職。阿南陸相,、杉山元元帥ら陸海軍人が自殺。陸軍省、参謀本部などで「(機密)文書」の焼却始まる
●午前中、伊勢崎市、小田原市を米軍機が空襲。小田原では30人以上死

●中国新聞大佐古記者の母が話す。「なんでひと月前にやめとかなんだか
のう。もっと早うやめとったら、あのむごい大勢の人殺しはなかった・・」(「広島 昭和二十年」より
 16日(木) ●広島慰問巡演中被爆した俳優丸山定夫が宮島で死去。24日に東京で死亡した仲みどりを含め、移動劇団桜隊の9人が被爆死した
●米軍が満州・奉天の日本軍基地に向かってパラシュート部隊を降下させる
●ベトナム民主共和国臨時政府が成立。南京政府が崩壊する
 17日(金) ●東久邇稔彦内閣成立。陸相は首相兼任、海相は米内光政が留任。外相は重光前外相、 国務相に近衛文麿元首相が就任
●8月2日に召集令状を受けていた中国新聞大佐古記者が中国第104部隊に行く。この日応召となった約2000人が集まる。午後1時、「応召者全員が帰郷、解散!」の命令に歓声。(「広島 昭和二十年」より)
●千円札が発行される
●インドネシア共和国が独立を宣言。大統領はスカルノ
●社団法人中国復興財団が設立される。旧軍用物資の払い下げ転用にかかわる(「もう一つのヒロシマ」 284pより)
 18日(土) ●内務省が、占領軍向けの性的慰安施設を設置するよう指令する。のちに
1000人の募集に4000人の女性が応募したことが判明
●満州国皇帝愛親覚羅溥儀が退位、「建国」から13年5ヵ月の満州国が消滅
●米軍が上海、広州、天津、青島に上陸
 19日(日) ●英・ロンドン、聖アルバンス寺院の正牧師が「日本への原爆の必要はなくなっていた」と、投下を批判(「年表ヒロシマ」より)
●海野十三が書く。「今朝、広島の惨害写真が新聞に出た」(「敗戦日記」より)
●高見順が書く。「新聞はこれまで(戦争中)の紙面について、いささかの謝罪もない。手の裏を返すような記事を書きながら、訓戒的で、布告的である。政府の御用をつとめている」。(「敗戦日記」より)
●大蔵省が「軍需産業社員の退職金支給は、3ヵ月の定期預金とする」と発表。
 20日(月) ●中国新聞、代替印刷の本紙とは別にガリ版刷りの「中国新聞特報」を出し、焼け跡や市街地に貼り出すことを決める。県庁の松浦教学課長が「ど
うしたんでしょうかねえ。こんなに髪が抜ける」と手で頭の毛を引っ張ると、力を入れていないのに10数本が抜けている。(「広島 昭和二十年」より)
●広島県庁が東洋工業内に移転
●灯火管制解除、信書、電信、電話の検閲廃止
●大杉栄を殺害した後、満映の理事長となっていた甘粕正彦が青酸カリで
自殺
 21日(火) ●(日本)軍の飛行機が名古屋でビラを撒く。「敵は陛下をマリアナかどこかに拉致。女たちは上陸軍に強姦される。国民は最後まで軍を支持せよ」。大仏次郎が書く。「(軍の)信用がないのは知れきったことで、その為、書く内容が段々下劣に、刺戟的になってくる」(「終戦日記」より)
●国民義勇隊解散
●敗戦前、機密とされた「天気予報」の放送が東京地方で復活
●高野広島県知事が、内務省に原爆被害報告。「死者3万2959人、重傷者1万3965人、軽傷者4万3517人、罹災者19万3459人」
 22日(水) ●ソ連の潜水艦L12が樺太からの引揚船小笠原丸を魚雷攻撃、600人以上が死亡。(潜水艦は「国籍不明」と記されたものもある)
●ラジオの天気予報、3年8ヵ月ぶりに復活。娯楽興行の再開許可
 23日(木) ●中国新聞が、初めて広島「被災」の写真を掲載。(「年表ヒロシマ」より)
●朝日新聞、「自らを罪するの弁」を書く
●毎日新聞、米国の「広島・長崎、75年間生物不毛説」を報道
●中国新聞大佐古記者、東洋工業内の県庁で同盟通信中村敏、毎日新聞重富記者らに被爆後初めて会う。中村記者は8月6日、原村(現・祇園)のNHK放送所から岡山放送局経由で、同盟に「広島壊滅」の第一報を入れ た(「広島 昭和二十年」より)
 24日(金) ●移動劇団「桜隊」の仲みどりが、東京大学病院で死去。死因は世界で初
めて「原子爆弾症」と名づけられる
●中国新聞大佐古記者が書く。「広島県政協力会議が開かれる。連合軍の
進駐対策が議題。石原警察部長と県会議員が激論。(これまで)上意に迎
合していた無風の県会だったのに、どこからあのおしゃべりや闘志が生ま
れてくるのか・・・。そういう新聞人はいったい何だ・・・・。朝日新聞が『英霊に詫びる』を連載している」 (「広島 昭和二十年」より)
●朝鮮人労働者を乗せて朝鮮に向かっていた海軍の輸送船浮島丸が舞鶴湾で爆発・沈没し、500人以上が死亡。(浮島丸事件)
●降伏反対の皇国義勇軍48人(うち女性8人)、松江市で県庁・新聞社・放送局・発電所を襲撃。これにより、県庁が焼失。また、新聞(島根新聞)の発行が不能となる。埼玉県朝霞に野営中の陸軍将校ら67人、川口・鳩ヶ谷放送所などを占拠。午後6時から約9時間、関東地区の放送が不能となる
 25日(土) ●大佐古記者が書く。「台風が接近したが、広島をそれるらしい。高曇りから強い雨になる。6日以来の天水でカラカラの大地がうるおう。午後8時の風速14メートル。敵の本土進駐が台風のため48時間遅れる」(「広島 昭和二十年」より)
●市川房枝ら「戦後対策婦人委員会」設立。婦人参政権の獲得運動おこす
 26日(日) ●広島逓信病院蜂谷医師が、「原子症に関する注意」を院内に貼り出す。「火傷のていどと白血球の減少は無関係のものの如し。頭髪の脱落は必ずしも重症を意味するものにあらず」など
●大東亜省、軍需省、農商省を廃止。商工省、農林省を設置。終戦連絡事務局を設置
●「特殊慰安施設協会(RAA)」設立。本部は銀座
 27日(月) ●中国新聞大佐古記者、逓信病院で検査。白血球が「通常の半分」の診 
断。「ときどき脱力感に襲われ、目の前がぼーっと暗くなる。最近、外傷のない人や6日に市内に入った人が、ぽっくり亡くなるという事実を見聞きするが、ひょっとすると私もその一人になるのではないか・・・。夕方早く、酒を3合ほど飲んで寝る」(「広島 昭和二十年」より)    
●大日本言論報国会解散
●特殊慰安施設協会の第1号、「小町園」が東京・大森で開業
 28日(火) ●東久邇宮稔彦首相が記者会見し、国体護持、「一億総懺悔」を強調。敗戦の原因の一つが、国民の道義の欠落にあると話す
●連合軍先遣隊146人が厚木飛行場に到着。連合国軍総指令部(GHQ)を横浜に設置
●中国で、国共重慶会議が開催される
 29日(水) ●東京新聞に「職員事務員募集」の広告。広告主は特殊慰安施設協会。高見順が書く。「今に、路上で『ヘイ』とか『コム・オン』とかいう日本男女が出てくるだろう」 (「敗戦日記」より)
●中国新聞大佐古記者に対し、東洋工業の福祉課長が「連合軍が来てみ
ないと分からないが、軍需省は、(東洋工業を)平和産業に転換できるかも知れないと言っている」と話す(「広島 昭和二十年」より)
●NHKがこれまで出していた、米の日本向け放送に対する妨害電波停止●米国務省、陸・海軍省が初期の対日政策を発表 
 30日(木)  ●大田洋子が朝日新聞に「海底のやうな光/原子爆弾の空襲に遭って」を書く(「原爆 表現と検閲」より)
●東大調査団、広島入り。都築正男教授、三宅仁助教授 理化学研究所仁科研究室杉本朝雄氏ら
●マッカーサー元帥が連合軍最高指令官として厚木に到着
●日本文学報国会が解散
●蒋介石・毛沢東の国共政治協商会議が開かれる
31日(金) ●永積寅彦侍従の広島・長崎訪問が決まる。天皇は「惨状の視察、救護関
係者の激励」を指示。(注:この訪問を撮影したフィルムが発見され、2007年8月2日、中国放送で放映された)
●3日前、敗戦は国民の道義の欠落にあるとして「一億総懺悔」を呼びかけた東久邇宮首相が、今度は「国民からの意見を政治の参考としたい」と呼びかける。
●横浜市で米兵が、ビール輸送中のトラックを襲撃。米海兵隊第1陣が館山に上陸
●在郷軍人会が解散
●ハワイ在住の日系二世、レスリー・ナカシマ(日本名、中島覚)が「消えたヒロシマ 記者は目撃した」の記事が「ニューヨーク・タイムズ」に載る。中国新聞によれば、外国人記者による広島ルポ第1号と見られる。 中国新聞の記事はこちら
  http://www.chugoku-np.co.jp/daden/toku01/t001005a.html

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9月

1日(土) ●第88臨時帝国議会召集。綜合計画局が廃止され、内閣調査局が設置される
●東京の国民学校と中等学校で、正規の授業を再開
●東京劇場で猿之助一座が歌舞伎を再開する
●ソ連、千島列島全域の占領を発表
2日(日) ●東京湾に停泊の米戦艦ミズーリ号上で全権代表重光葵外相が降伏文書に調印
●中国新聞大佐古記者が書く。「姪の芳枝がきのう死んだ。この娘もピカドンの犠牲になった。私が見舞うたびに『梨を買ってきてちょうだい』と訴えていたのに・・・」 (「広島 昭和二十年」より)
●GHQが指令第1号、軍需生産全面停止を指令。 マッカーサー元帥が米ソ両軍による朝鮮分割占領政策を発表する
●ベトナム民主共和国独立宣言
3日(月) ●ロンドン、「デイリー・エキスプレス」の特派員ウィルフレッド・バーチェット記者が広島入り。同盟通信の中村、歌橋記者とともに広島市内の逓信局などを取材。「スチームローラーを掛けられて消滅してしまった都会」の惨状を同盟通信経由で打電。W・H・ローレンスら20人の記者が市内を取材。広島の記者団と一問一答
●東警察署で広島県主催の原子爆弾症講演会。都築正男東大教授らが講演
●日本政府が「原爆被害報告書」を提出。放射能の影響について、4人の陸軍医報告「広島大惨状の報告」を採用。「爆発直後人体に危害を引き起こすほどの放射線量は測定できなかった」と説明している
●中国新聞が温品工場で自力印刷開始
 4日(火) ●原爆投下3日後の広島の被爆者を写した宮武甫カメラマンの写真、朝日
新聞大阪版に掲載。「原子爆弾 正視に堪へぬこの残虐さ」「これはその残虐性を如実に示す被災者の痛ましい姿、紙上に報ぜられる最初の写真」の説明。同日の朝日新聞東京版にはこの記事は掲載されず、その前後の時期にも掲載されていない(「封印されたヒロシマ・ナガサキ」より)
●東京大学の都築博士が「原爆症」について中間発表。「発熱、脱力、食欲不振、脱毛、下痢などの症状を仮に原子爆弾症と呼ぶ」
●GHQ、外国語による海外向け放送を禁止
●米軍進駐により、神奈川県で女学校休校措置
 5日(水) ●バーチェット記者が「デーリー・エクスプレス」に、W・H・ローレンス記者が「ニューヨーク・タイムズ」に送った「原爆に起因する死者がいまだに出現している広島」などの記事が掲載される
●マッカーサー司令官、「特派員が占領の先鋒となるのは米軍の方針では
ない」と、外国人記者団による自由な取材を禁止。海外向けニュースは占領軍によって管理されたうえで同盟通信が発信する
●東久邇首相国会演説。「一億総懺悔論」を展開
 6日(木) ●マンハッタン計画副責任者トーマス・ファーレル准将が、東京で連合国特派員と会見。「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在、放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」と言明。広島の実状を伝え質問したバーチェット記者に「君は日本の宣伝の犠牲になったのではないか」と、無視
●朝鮮民主主義人民共和国成立(憲法制定)
 7日(金) ●朝日新聞に、アメリカ人記者の広島からのレポートが海外で反響を呼んでいることを伝える記事。「生存者の憎悪の眼/夏の太陽の下・廃墟に漂
う死臭/米人記者の見た広島」(「原爆 表現と検閲」より)
●米軍指令部が、南朝鮮に軍政を布告する
 8日(土) ●建物疎開作業中に被爆の一人息子を失った中国新聞・山本康夫連絡部長が短歌に託し心境を書く。「原爆の無惨書き継ぎて 後の世に知らしめんと われの責 果てるなし」
●ファーレル准将ら米軍調査団、万国赤十字のジュノー博士らを伴い、空路岩国に到着。バスで基町・広島城の「中国軍管区司令部」を訪問後、宮島宿泊( 「ドキュメント 核と人間」より)
 ※編集室注:「年表ヒロシマ」、「広島原爆戦災誌」(広島市発行)に  は「五日市の中国軍管区司令部」とある
●米軍がジープで東京進駐を開始。また、朝鮮の38度線以南を占領。米ソによる南北分割
 9日(日) ●ファーレル准将ら米軍調査団13人が広島入り。二葉の里の第二総軍司
令部、陸軍病院宇品分院を訪問。市内でガイガーカウンターにより残留放
射能を測定。ファーレル団長ら8人は、その日にうちに帰京( 「ドキュメント 核と人間」より) 
 ※編集室注:「封印されたヒロシマ・ナガサキ」には、「ファーレルと  ニューマン准将だけが帰京」とある
●マッカーサー元帥、言論と新聞に対する根本方針など、日本管理方式に
ついて声明
●NHKが戦後初めて歌謡曲を放送
 10日(月) ●米原爆調査団が、前日に続き陸軍病院宇品分院、佐伯郡大野町の大野 陸軍病院を訪問。被爆者の病状を調査
●GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」を日本政府に提示し、「報道可能な範囲」を規定、GHQに関する事項の報道制限を実施
●占領地検閲機関CCD(民間検閲所)が横浜から東京に移動
●東京・淀橋警察署、闇市の露店を全面禁止。立川基地上空からはDDTが散布される
 11日(火) ●GHQが東条英機元首相・陸軍大臣、賀屋興宣元蔵相ら39人の戦争犯罪人の逮捕を命令。東条英機、自宅でピストル自殺を図るが失敗。(1948年絞首刑)
●蜂谷道彦広島逓信病院長が書いた、臨床研究「原子爆弾と原子病」が産経新聞に掲載される
●9日、東京・銀座、大森海岸で発生した米兵による略奪・暴行事件(米兵ギャング事件)を受け、隣組が婦女子へ警告を回覧板。「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」
 12日(水) ●ファーレル准将が、マンハッタン計画の責任者レスリー・グローブス少将に報告。「昨日、広島で行われた日本側公式筋との会合において、東京大学の都築博士から原爆が爆発したときに毒ガスが放出されたのではないかとの質問が出された。このような作り話を直ちに叩き潰すために、本官は都築博士に毒ガスは放出されなかったと正式に伝えた。本官が当地で権威を以ってこの情報を公表し、また貴殿が合衆国において公表することは、極めて望ましいと思われる」「封印されたヒロシマ・ナガサキ」より)
 13日(木) ●「ニューヨークタイムズ」にウィリアム・L・ローレンス記者が書く。「秘密兵器の爆発力はその発明者が予見するよりも大きかったとしながら、ファーレル准将は、廃墟となった街に残存する危険な放射能を生み出したり、爆発時に毒ガスを作りだすことを、断固として否定した」。(「封印されたヒロシマ・ナガサキ」より)
●大本営廃止。参謀総長や陸相を歴任した杉山元元帥夫妻がピストルで 「自決」
 14日(金) ●同盟通信社に業務停止命令
●大日本政治会、解散
●文部省が原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置。約200人の大調査団。委員長は林春雄・学術研究会議会長
 15日(土) ●米軍の一組織であるCCD(民間検閲局)のフーバー大佐が、同盟通信社長、NHK会長らを集め、日本の新聞、放送の報道に不満を表明、「日本は敗戦国だ。総司令部は命令し、日本政府はこれに服従するのだ」と厳命した(「原爆 表現と検閲」より)
●中国新聞大佐古記者が書く。「食糧課の笹井属官が、記者クラブに砂糖
を配給するという。『たった10斤でいいのか。10袋でも20袋でもある』。クラブの皆はバケツに一杯ずつ持って帰る。・・・戦争は人に嘘をつくことを教え、平和になってその人を泥棒にする」(「広島 昭和二十年」より)
●GHQ本部が、東京・日比谷の第一生命ビルに設置される
 16日(日) ●朝日新聞が、米軍司令部が発表した報告書「比島戦における日本軍の典型的残虐行為」を掲載。また、同紙面に広島・海田市町から写した「原 子爆弾炸裂の直後」の写真、「原子爆弾委員会/学研で我が科学陣を網羅」の記事
●日本映画社の原爆記録映画撮影隊の先遣隊が長崎で撮影開始
 17日(月) ●中国地方に枕崎台風。広島で200ミリの降雨。京都大学の原爆調査班が大野陸軍病院の宿舎で山崩れに遭い、真下俊一教授ら11人が死亡。県内の死者は2012人。この台風で中国新聞が再び発行不能に。朝日、毎日に代行印刷依頼
●重光外相辞任、後任に吉田茂
 18日(火) ●GHQ、朝日新聞に19日から2日間の発行停止の命令
●中国新聞大佐古記者が書く。「台風通過後曇りから晴れ。午後快晴。土手から見下ろすと焼け野が原は見渡す限り濁流の海と化し、崩れたビルや引き裂かれたまま焼け残った大樹の幹が点々と水面に現れ、川と町の境界を示す堤防は至るところ決壊している。ひなたぼっこをしている婦人に声をかけると「原になったり海になったりですよ」(「広島 昭和二十年」より)
 19日(水) ●GHQ、プレス・コード(日本に与える新聞遵則)を指令。「公安を害する事項」「占領軍に対する破壊的な批判、不信や怨念を招く事項」などの掲載を禁止。1952年4月の占領終了まで、原爆に関する報道は姿を消す
20日(木) ●東京で原爆災害研究会開く。臨時第一陸軍病院で仁科芳雄、三宅仁らが調査結果を報告
●ポツダム宣言に伴う緊急勅令が公布、施行される
●文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる
●広島県特殊慰安協会設立。占領軍に対する慰安施設を一元的に運営
●広島中央放送局、東洋工業の工員食堂を借りて事務所とする。現業以外の業務が開始された
 21日(金) ●「米軍太平洋陸軍総司令部/参謀次長 民間検閲部」の頭書きで「日本出版法」(Code for Japanese Press)を発令
●日本映画社の撮影先発隊、列車不通のため尾道から海路、広島入り
●米陸軍に代わり、米海軍が沖縄を統治
●朝鮮の米軍、神社法など朝鮮人弾圧と判断される法令を破棄
 22日(土)   ●GHQが「ラジオ・コード」発令。言論の自由とGHQへの批判を禁止する通達を出す
●米政府、「降伏後における米国の初期対日方針」を公表。方針に基づき、指令第3号を発令。生活必需品の生産促進・輸出入活動の禁止・金融取引の統制など
●イギリス、フランス軍がサイゴンを占領する
 23日(日) ●ハント少将が指揮する米第2師団特別陸戦隊2万5000人が長崎・出島岸壁から上陸を開始
●占領軍向けラジオ放送「AFRS」が始まる
●インドネシアの日本軍武装解除のため、イギリス・オランダ軍がバタビアに入る
 24日(月) ●日本映画社の撮影隊が広島・爆心地付近から撮影を始める
●「プレス(報道)の政府からの分離に関する覚書」公布。新聞・通信社に対する日本政府の統制支配が廃止されたが、同時に「プレス(報道)」全般への統制が、GHQの「直接統治」へ移行した
●同盟通信社古野社長がフーバー大佐を訪ね、自発的解散を告げる
●GHQ・G2のウィロビー少将と河辺虎四郎中将、有末精三中将が東京・帝国ホテルで夕食をともにする。日本軍幹部はGHQ情報将校と親交を結び、戦争責任を免除され、戦犯としての訴追を免れる。G2直轄の極秘情報機関として「河辺機関」「有末機関」などが設立される(「秘密のファイル」より)
 25日(火) ●天皇が、UP通信ベイリー社長とニューヨーク・タイムズのクルックホーン東京特派員と宮内省で会見。初の外国人記者との会見。(「もう一つのヒロシマ」より)
●民衆的放送機関設立に関する件が、閣議で了承される
●復員船第1号「高砂丸」、中部太平洋・メレヨン島から1628人を乗せて別府港に到着
●パリで世界労連結成大会開催
 26日(水) ●米第6軍・第10軍団先遣隊マスター大佐ら一行6人、呉・広の海軍飛行場に到着。進駐の準備開始。高野広島県知事、石原県警察部長、鈴木呉市長らと会談(「広島県戦災史」「もう一つのヒロシマ」より)
●哲学者三木清、「共産主義者を匿った」という罪で入獄中、東京豊多摩拘置所内で獄死。享年49
●英仏連合軍、プノンペンに進駐。英軍、ジャカルタへの上陸を開始
 27日(木) ●天皇がアメリカ大使館にマッカーサーを訪問(29日、各紙が写真掲載)
●CCDが「出版と言論の自由への追加措置」を発令。出版と言論の自由を制限した法律(新聞紙法、国家総動員法等)の即時撤廃を命じる
 28日(金) ●東京新聞夕刊が、モーニング姿で直立した天皇と開襟シャツのマッカーサーが 並んだ写真を掲載(29日、各紙朝刊)
●外務省、宮沢俊義東大教授(憲法学)を招いて「ポツダム宣言に基づく憲法、同付属法令改正要点」の講演会を実施
●日本社会党の第1回準備会が開催される 
 29日(土) ●各紙、天皇とマッカーサーが並んだ写真を掲載。内務省が「安寧を紊乱するもの」として各紙を差し押さえたが、GHQの指令により、発禁解除
●高見順が日記に書く。「自国の政府によって与えられるべき自由が与えられず、他国の政府によって与えられる。なんと恥ずかしいことだろう」
●広島市議会、被爆死した粟屋仙吉市長に代る木原七郎代議士を推薦し承認
 30日(日) ●「大日本産業報国会」「大日本労務報徳会」、解散
●GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる
●中国新聞本社3階で、被爆死した社員の慰霊祭
●石川・七尾市で中国人労働者380人が警察署襲撃

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10月

1日(月) ●東大、都築正男博士が「「いわゆる『原子爆弾症』について、医学の立場からの対策」を、『総合医学』に発表
●広島市内の救護所を草津、矢賀など7ヵ所に統合。運営を広島県から日本医療団に移す(「広島県戦災史」より)
●米軍第5水陸両用部隊司令官ヒル中将が乗るホビー号が呉・広湾に入港
●GHQ、「郵便検閲に関する覚書」公布し、郵便物の検閲を命令
2日(火) ●日本映画社の撮影隊医学班が、陸軍病院宇品分院で本格的な撮影開始。山中真男カメラマンの日誌。「夜、南風強く雨がまざりなかなか眠れず。今日立ち会った原爆の犠牲になって倒れた兵隊の剖検の生々しい記憶が頭に浮かぶ。ましてこれらの家族のことなどを考えるとなかなか眠れず。よわる」(「ヒロシマ二十年」より)
●日本駐留の連合軍人用列車、「オクダゴニアン号」運行開始。以後、進駐軍専用・優先列車、通称「白帯車両」が多く運転される
3日(水) ●マサチューセッツ工科大コンプトン博士がトルーマン大統領に、「原爆の爆発後にその地域に行くことによって被害を受けたという確かな事例は一切ない」と、残留放射能による被害を否定する報告
●山崎巌内相、「治安維持法に基づく共産主義者の検挙継続」発言
●秋田・船川港で中国人労働者が警察署など占拠する
 4日(木) ●GHQが、「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」提示。これにより、政治犯の即時釈放、治安維持法廃止、特高警察全員の罷免などを指示
●近衛文麿国務相、マッカーサー元帥と会見。憲法改正や、国務省派遣のGHQ政治顧問アチソンとの連絡を示唆される
 5日(金) ●被爆後2ヵ月間の「戦時災害保護法」適用が打ち切られ、被爆者の援護縮小へ
●東久邇宮稔彦内閣が、前日のGHQ覚書は実行できないとして総辞職
●戦後初の全国単産(産業別)労組として、全日本海員組合結成 
 6日(土) ●東京の新聞5紙、GHQピータース大尉の通達を受け、5紙に対する事前検閲が8日から始まると報じる
●スナイダー海軍少将指揮下の米巡洋艦マウント・マッキンレーほか輸送艦30隻が呉・広湾に入港。7日から上陸を開始、8日までに呉地区に8000人、広地区6000人、海田地区3500人が進駐
  ※「広地区に8000人」とする資料もある。(「芸備地方史研究」   178号)
●全国の特高(特別高等警察)が廃止される。広島県庁の機構改革で警察
部特高課、国民動員課を廃止、勤労課を設置
 7日(日) ●兵庫県沖で別府航路の室戸丸が機雷に触れて沈没。行方不明、470 
人。(死者数は70人、355人など諸説あり)
●中国新聞喜田印刷部長ら海田市の需品廠へ。進駐米軍に明け渡しのため、倉庫外に出されていた新聞巻取紙を、米軍将校と交渉し元に戻す (14日までに流川本社に収容)
 8日(月) ●近衛文麿、GHQ政治顧問アチソンと非公式に会談。12項目にわたる憲法改正の具体的提案を受ける
●GHQ、日本政府および陸海軍が保有する金・銀・プラチナの接収を命令
●北海道夕張炭鉱で、約6000人の朝鮮人労働者が待遇改善を要求して
スト突入
●学校農園の不正で上野高等女学校生徒が同盟休校。全国で同盟休校が相次ぐ
●自由法曹団再建
 9日(火)  ●5日発表のGHQ「覚書」(政治犯の釈放、天皇についての自由な討議など)は実行できないとして総辞職した東久邇内閣に代わり、幣原喜重郎内閣成立。吉田茂外相は留任
●GHQ、東京の5紙に対し事前検閲を開始。 大阪は29日から
●中国新聞大佐古記者が書く。「呉に進駐した米兵の暴行が(県の)警察部に報告されてくる。きのう一日だけで警官の持つ剣を強奪3件、物干しのもんぺ盗難1件、無銭遊興2件あったが、婦女暴行はまだない」(「広島 昭和二十年」より)
 10日(水) ●松本烝治国務相、閣議で幣原喜重郎首相へ「憲法改正の必要性」を打診。(首相は憲法改正に対して、無反応だったと伝えられる)
●徳田球一ら獄中の共産党員500人を含む政治犯3000人が釈放される。徳田ら「人民に訴う」の声明。「自由戦士出獄歓迎人民大会」開催
●中国で国民党と共産党の話し合いの合意=「双十協定」が発表される
●連合艦隊と海軍総司令部が廃止される
 11日(木) ●高野源進広島県知事、着任から4ヵ月で警視総監に転出。中国地方総監府の総監(8月28日に着任、東京都次官)の児玉九一知事が兼務で就任
●GHQ、幤原首相に女性の解放・労働者の団結・教育の自由化・経済の民主化など5大改革を要求
●外務省、「憲法改正大綱案」をまとめる
●戦後初の企画映画「そよかぜ」封切。並木路子が歌う「りんごの唄」が大流行
 12日(金) ●近衛文麿、内大臣府御用掛に就任。松本烝治国務相、閣議で近衛文麿による憲法改正作業を批判。幣原喜重郎首相、マッカーサー元帥と会談
●「原爆は文明に対する致命的な挑戦」と、原爆開発に携わった米科学者400人が原子エネルギーの国際管理を提唱([年表 ヒロシマ」より)
●ソウルで朝鮮共産党再建大会
 13日(土) ●新聞各紙が憲法改正に関する記事。表題は、朝日が「欽定憲法の民主化」、毎日は「憲法改正の緊急性」、読売は「憲法の自由主義化」
●政府が憲法改正に関する研究開始を決定
●高野源進前知事(新・警視総監)、満員の上り急行の機関車に乗って東京へ
 14日(日) ●米軍原爆調査団第2団、広島入り。メイスン大佐ら23人が広島陸軍病院宇品分院を接収し、研究材料を手当たり次第に押収。米側のみの目的に沿う調査活動の拠点とする
●GHQ、国内にある石油の全在庫を即時、重要産業など民需に振り分けることを指令
 15日(月) ●治安維持法、思想犯保護観察法廃止。安田保善社の解散決定、財閥解体開始
●内大臣府御用掛の近衛文麿が、憲法改正構想について外国マスコミと会見
●在日朝鮮人連盟結成大会開く
●参謀本部と軍令部が廃止される
 16日(火) ●GHQ、「映画産業への日本政府の統制撤廃」(SCAPIN・146)を指令、映画・演劇産業の言論の自由制限を撤廃
●宮沢俊義東大教授(憲法学)が毎日新聞で、内大臣府の憲法改正作業を批判
●日本の植民地時代にアメリカに亡命していた李承晩が韓国に帰国
●イギリス、フランス連合軍がプノンペンに進駐する
 17日(水) ●長崎爆心地で撮影中の日映カメラ助手・関口俊雄さん、米軍鉄道司令部
に連行
●中国新聞社幹部が、山本実一社長の持ち山でマツタケ狩り
●戦争「終結」により100万人に恩赦
●蒋介石の国民党軍、台湾に上陸
 18日(木) ●「反逆児 知己を百年の のちに待つ」。軍人から戦争否認のジャーナリストになった水野広徳、愛媛・今治市内の病院で死去。享年71
  ※ リンクは、静岡県立大前坂俊之教授のホームページ
●松本烝治国務相、新設の「憲法問題調査委員会」の基本的性格を記者 
団に発表
●南方諸島からの引揚者数が、2万1850人をこえる
 19日(金) ●高見順が日記に書く。「『武蔵』『大和』の写真がはじめて公表された。消失してから初めてその姿が国民に知らされたわけである」
●宮沢俊義東大教授(憲法学)が、毎日新聞で憲法改正問題に再度論及する
●駅名表示が左書きに統一される
 20日(土) ●疎開作業中戦災で死傷した国民義勇隊員に、弔慰金または見舞金の交付
●美濃部達吉東大名誉教授(憲法学)、朝日新聞で「憲法改正不急論」を展開。解釈と運用で帝国憲法の民主化は可能であり、憲法改正を急ぐべきでないと主張した
●日本共産党機関紙「赤旗」再刊
 21日(日) ●京大で、枕崎台風で死亡した原爆調査団・杉山繁雄博士らの医学部葬
●近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミと会見。「天皇の退位問題」「GHQへの新憲法の提出」に関する発言
●フランスで、女性に参政権が認められて初の総選挙。制憲議会が成立、共産党が第1党に
 22日(月) ●粟屋仙吉市長の被爆死後、空席となっていた広島市長に木原七郎が就任
●GHQが、軍国主義追放の教育制度政策として「日本教育制度に関する覚書」を公布
●フランス制憲議会が満場一致でド・ゴールを政府首脳に選ぶ
 23日(火) ●9月27日にヒロシマで始まった日映撮影隊の土木建築班班が撮影を終
える
●読売新聞社従業員大会で、会社民主化を決議。第一次読売争議へ発展する。  ※リンクは前坂俊之教授「昭和20年、敗戦後の新聞報道」
 24日(水) ●高見順が書く。「大船で(電車)乗り換え。米兵と連れ立った日本の若い女が、相手を歩廊(ホーム)に残して一人で車内に入った。そして車窓から顔を出して、楽しそうな声をあげている米兵の相手になっていた・・」(「敗戦日記」より)
●GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布
●国連憲章が発効し、国際連合が正式に発足する
 25日(木) ●文部省の「原子爆弾学術調査団」が調査を終え、引き上げる
●読売新聞従業員組合結成。組合が編集業務を管理
●憲法問題調査委員会(委員長・松本烝治国務相)設置を閣議決定
●GHQ、「日本の在外大使公使館の資産・文書の引き渡し、在外外交代表召還に関する覚書」を公布、日本政府の外交権を停止する
 26日(金) ●政府、食糧435万トンの輸入をGHQに懇請する
27日(土) ●児玉広島県知事、在任わずか16日で退任。近畿地方総監府副総監の 
楠瀬常猪が就任
●憲法問題調査委員会、第1回総会開催。委員会設置の趣旨説明が行われ、以後翌年2月2日まで7回開催された
●三井、三菱、安田、住友の4大財閥の解体決定
 28日(日) ●毎日新聞が、闇取引を禁止した政府の方針を守ったため餓死した東京高校 ドイツ語教師・亀尾英四郎の生きざまを報じる(「敗戦日記」より)
●マニラで山下奉文の戦争犯罪裁判が始まる
●神宮球場で、六大学OBの紅白チームによる戦後初の野球試合
 29日(月) ●大阪の新聞の検閲開始
●秋田師範学校男子部、食糧難のため2週間の休校
●日本勧業銀行、「第1回宝くじ」発売。1等は賞金10万円に加え、副賞に純綿キャラコ2反
 30日(火) ●米ハーバード大、マサチューセッツ工大の科学者500人で結成したケンブリッジ科学協会が、原爆の国際管理を要求する声明を発表
●同盟通信社解散。これにより、11月1日に共同通信社・時事通信社が発

●GHQ、「教職員の調査、精選および資格決定に関する覚書」を公布。軍国主義的教員の追放を指令。また、皇室財産が16億円であるこを発表
 31日(水) ●10月25日の覚書により、日本の在外公館による外交活動が全面停止●GHQ、「若干の会社の証券の売買・移転に関する覚書」公布。これにより、三菱本社など15会社の一切の証券凍結を指令

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11月

1日(木) ●中国新聞が人事の辞令。主筆に陰山稔、編集局長村上哲夫。編集局に記事審査委員会設置
●共同通信社と時事通信社発足
●青山虎之助、雑誌「新生」を創刊。即日13万部売れる
●全国人口調査、7199万8104人の結果。女性が420万人上回る
●ロンドンで国連教育科学文化機関(UNESCO)設立会議が開かれる
2日(金) ●憲法問題調査委員会(委員長・松本蒸治国務大臣)、第2回調査会を開催し、改正論点の検討作業に入る
●日本社会党が結成される。書記長は片山哲。開会の辞で浅沼稲次郎は国体護持を主張し、大会が終わると賀川豊彦が「天皇陛下バンザイ」の音頭
3日(土) ●中国新聞が流川本社で「復興祭」を開く。米占領軍のデシデリオ大尉ら来賓として出席
●市川房枝が会長の新日本婦人同盟結成
4日(日) ●政府、4大財閥(三井・安田・三菱・住友)の持株会社の自発的解体計画をGHQに提出
●東京・上野で全国戦災者同盟の結成式が開かれる
●東大経済学部教授会が、大内兵衛、矢内原忠雄ら7人の教授の復職を決定
 5日(月) ●憲法学者・鈴木安蔵ら「憲法研究会」をつくる。ほかに高野岩三郎、岩淵辰雄、室伏高信、森戸辰男、杉森孝次郎ら
●中国新聞、流川本社での印刷第1号を発行。台風で「温品版」停止以来、48日ぶりの「自力印刷」
●閣議、「戦争責任に関する件」を決定し、天皇の戦争責任を否定
●戦災復興院発足。総裁は小林一三
 6日(火) ●尾道・今治間の連絡船「第10東予丸」が定員過剰で沈没。復員兵ら371人が行方不明となる
●中国地方総監府と外局の中国地方軍需監理局が廃止され、かわって中国地方行政事務局、および中国地方商工処理部を設置する
●GHQが持株会社解体指令を出す
 7日(水) ●朝日新聞、戦争中の報道責任を明確にするとして村山社長ら幹部が総辞職。社告「国民と共に起たん」を発表し、朝日が「国民の機関」となることを宣言
●高見順が書く。「(戦争時の)嘘八百の煽動的記事に対してその執筆者たる新聞記者全体の謝罪があってしかるべきだと思う」(「敗戦日記」より)
 8日(木) ●中国新聞が、広島市福島町に原爆被災後80日を経て、なお燃え続ける松についての記事
●広島市宇品の凱旋館内に「広島県引揚民事務所」設置
●米国賠償委員会、日本国内資産の調査を開始。マッカーサー元帥に「日本占領および管理のための初期の基本的指令」通知
●共産党、第1回全国協議会を開催し、「新憲法構成の骨子」を決定
 9日(金) ●GHQ、映画脚本などの事前検閲撤廃を発表(46年1月から、GHQは検閲を始めている)
●憲法問題調査委員会の松本烝治委員長、委員会の活動状況を記者団に説明
●日本自由党が結成される。総裁は鳩山一郎
 10日(土) ●毎日新聞の従業員が「全職員の厳粛なる反省に基き、新聞の戦争責任明確化と、社内民主的体制を確立するため、全職員の総意に基く」上申書を社長に提出
●憲法問題調査委員会が第2回総会を開催。委員会の調査方針を確認する
●GHQ渉外局、「日本の労働統制法規の撤廃」発表。国民動員令など8法令が廃止される
 11日(日) ●福岡医学会総会、「原子爆弾による人体傷害に関する講演会」を九州大
で開催
●GHQ、印刷業者に対する用紙配給局の発足を発表
●東久邇宮稔彦前首相、敗戦を理由に皇族待遇を辞退すると表明
●日本共産党、「新憲法構成の骨子」を発表
 12日(月) ●呉市長、呉海軍工廠跡に民営の平和産業工場を開設するよう政府に陳情のため上京
●第1回宝くじの抽選会実施。1枚10円、一等は10万円
 13日(火) ●昭和天皇が伊勢神宮に参拝
●政府が情報局内に、新聞および用紙割り当て委員会を設置
●広島市議会、復興の補助についてマッカーサー元帥に意見書提出を決める
 14日(水) ●GHQが、敗戦後、兵器集積場になっていた東京・後楽園球場を接収
●日比谷公会堂で「ドングリを応用した食料子ども会」開く
●高見順が書く。銀座の特殊慰安施設協会の店を訪れて―「世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間がみずから婦女子を集めて淫売屋をつくるというような例が・・・」(「敗戦日記」より)
 15日(木) ●米英加3国首脳が原子力に関する共同宣言発表
●GHQ、東京劇場で上演中の歌舞伎「寺子屋」を反民主的として中止命令
●政府が、選挙権者の確定人口を調査するため、人口調査を開始
●幣原喜重郎内閣が「戦争責任等に関する件」を閣議決定
  ※「閣議決定」の中の「陛下に関する説明」はこちら
 16日(金) ●日本進歩党が結成される。総裁・町田忠治、幹事長・鶴見祐輔
●ユネスコ憲章が採択される
●戦後初の大相撲が開幕、スポーツ放送復活
 17日(土) ●広島市、市内の収容所で亡くなった被爆者の遺骨の引き渡しを中止。9000柱のうち6000柱が残る
●GHQ、「仇打ちもの」や「剣劇もの」映画227種を反民主主義だとして上映禁止
●閣議、生鮮食品の配給統制撤廃を決定。36年ぶりの凶作で供給米価が
6割高
 18日(日) ●伊勢、京都を巡り、伊勢神宮、神武天皇畝傍御陵、明治天皇桃山御陵に
参拝した天皇が東京に帰着、大正天皇多摩御陵に参拝
●GHQ、「皇室財産を封鎖する覚書」を発表し、皇室財産を凍結。また、民間航空と航空研究の禁止を指令
●神宮球場で全早慶野球試合が行われる
 19日(月) ●GHQが荒木貞夫元陸軍大将、小磯国昭元首相、松岡洋右元外相ら11
人を、戦争犯罪人として逮捕。9月11日に次ぐ、第2次逮捕
●靖国神社で臨時大招魂祭開かれる
●中国の重慶で内戦反対大会が開かれる
 20日(火) ●天皇が戦後初めて、靖国神社に参拝
●GHQ、「ラジオ通信統制に関する覚書(ラジオ・コード)」で、ラジオ放送に対する検閲基準を指示
●ナチス・ドイツの主要戦争犯罪人を裁く国際軍事裁判が、ニュルンベルクで開廷(ニュルンベルク裁判)
 21日(水) ●日清戦争の後、高まる働運動を抑えるために1900年、制定された治安警察法廃止
●全国人口調査の結果発表。日本の人口は7200万人
 22日(木) ●中国新聞、11月1日現在の広島市の人口13万6518人と発表。7月は24万5000人
●近衛文麿、憲法改正案(帝国憲法改正要綱)を天皇に提出
●自作農創設の農地制度改革要綱を閣議決定
●戦時中「風船爆弾」の工場になっていた日劇が劇場として再開
 23日(金) ●長崎・浦上天主堂で、カトリック信者300人が原爆犠牲者の合同慰霊祭
●プロ野球の東西対抗試合が神宮球場で行われ、1年振りに復活する
●角川源義、角川書店を創業
 24日(土) ●アメリカ戦略爆撃調査団(United States Strategic Bombing Survey )、広島入り
●GHQが、理化学研究所、京大、阪大などの原子力研究施設サイクロトロンを破壊し海中に投棄
 25日(日) ●GHQが、軍人恩給の禁止など戦争利得者対策を指令
 26日(月) ●第89臨時国会召集。12月18日閉会
●東神奈川駅前で「米軍要員」を募集。多くの失業者が殺到する
●69連勝の横綱、双葉山が引退する
 27日(火) ●閣議、石炭・鉄鋼・非鉄金属など重要基礎物資の価格調整補給金制度撤廃を決定。価格統制が廃止され、石炭は約4倍の価格になる
●羽仁説子・加藤シズエがGHQの部局であるCIE(民間情報教育局)ウィード婦人課長と日本の婦人運動について懇談
 28日(水) ●GHQ、日本銀行券発行の許可制に関する覚書を指令。
●京大文学部が食料急迫の応急措置として、冬休みを12月24日から2月末日までとした、と新聞報道。(「敗戦日記」より)
 29日(木) ●中国新聞、米誌ライフに掲載されたアラモゴードでの第1回核実験の写真を転載
●東京の英国政府代表団が、「天皇をシンボル(象徴)として利用すべきだ」と本国に提言
●東京の戦災者に1枚約40円で、連合国軍接収の毛布11万2000枚を支給
 30日(金) ●中国新聞大佐古一郎記者が日記に書く。「米軍は広島で捕虜になって虐
待されて死亡したB24搭乗の航空兵の加害者をいまだに探し回っている」
●広島県警察部、原爆被害調査実施。広島県内の軍関係者を除く)市民の死者は7万8150人、行方不明者は1万3983人
●文部省学術研究会議の原爆災害調査研究特別委員会第1回報告。GHQのケリー、アレン両氏らが「原爆関係は連合軍のトップシークレットであるから発表は許されない」と発言、都築正男博士との間で議論となる
(「年表ヒロシマ」より)
●GHQ、日銀券発行許可制を指令

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12月

1日(土) ●第一陸軍病院宇品分院を「国立広島病院」に改称
●広島県庁に戦災都市復興協議会を設置
●陸軍省、海軍省を廃止し、第1復員省、第2復員省設置
●全日本教員組合結成
●共産党第4回大会。書記長は徳田球一
●朝鮮で「東亜日報」が復刊となる
2日(日) ●GHQ、A級戦犯の第3次逮捕命令。広島にあった第二総軍の畑俊六司令官、笹川良一、児玉誉士夫、正力松太郎ら59人
 3日(月) ●楠瀬広島県知事、双三郡を訪問。男女青年が「政治、科学、文化面での
青年の再教育、悪質な警察官の罷免、闇横流しの絶滅」などを要求
●大学での男女共学制度が改定される
●東京大学社会科学研究所の世論調査で天皇制支持が78パーセント
 4日(火) ●閣議で、女子大学の創設、大学男女共学などを決定
 5日(水) ●占領軍が、1日に改称された「広島国立病院」を「朝鮮人引揚収容所」にすると命令。病院は閉鎖、占領軍の救急車数10台で、患者を岩国海軍病院に移送
●広島日赤病院、被爆者の「整形手術を急ぐな」と発表。抵抗力が弱く、消毒液も不足している、などが理由
●日本社会党広島県支部結成大会
●松竹映画「愛染かつら」封切。田中絹代、上原謙ら出演 
 6日(木) ●被爆者の無縁遺骨6000柱を広島市・己斐の善法寺に移す
●米ロスアラモス研究所長のオッペンハイマー博士が「いかなる国でも原爆を製造し始めたら、われわれは、即刻宣戦布告しなければならない」と発表
●GHQが、近衛文磨、木戸幸一ら9人の逮捕を命令する
●東京大学総長に法学部長の南原繁教授が選出される
●戦後初の洋画「ユーコンの叫び」が上映される
 7日(金) ●バラック建ての広島・己斐劇場で「広島戦災者同盟大会」。執行委員代表仁田教一らは「戦災者の最低生活を確保せよ」などを決議し、楠瀬県知事に強く要請。12日に回答(「広島原爆戦災誌」より)
●マニラの戦犯裁判で、山下奉文元大将に死刑宣告
 8日(土) ●憲法問題調査委員会の松本烝治委員長(国務大臣)、衆議院予算委で 
「憲法改正4原則(天皇の統治権総覧は不変、天皇大権事項の削減、人民の自由・権利保護の拡大など)を発表
●共産党ほか5団体、東京で戦争犯罪人追及人民大会を開催。戦争犯罪人名簿の最後に昭和天皇を加える
 9日(日) ●広島市が、市議会、連合町内会長、町内会長らで広島市戦災復興会を 結成
●GHQ、「農地改革に関する覚書」提示。この覚書により日本政府は、農地改革計画を翌年1946年3月15日までに提出することを厳命される
●NHKラジオ第1放送で「真相はかうだ(こうだ)」の放送スタート。CIE(GHQの民間情報教育局)ラジオ課の企画・脚本で、戦時中の日本政府・軍の実態を暴露するもので、1946年2月10日まで続いた。以後、46年2月17日から「真相箱」、47年1月4日から「質問箱」となる
 10日(月) ●戦災援護会総裁の高松宮が、皇族として戦後初めて広島へ。比治山戦災孤児収容所などを訪問。12日まで
●GHQ、捕虜虐待容疑で57人に逮捕命令
●日本共産党広島地方委員会結成
 11日(火) ●第1次読売争議、正力社長退陣などで決着
●GHQ、「日本放送協会の再組織に関する覚書」公布。民間人が放送に関わるよう勧告を示す(ハンナー・メモ)が、ハンナー大佐は民間放送を許可する考えのないことを伝える
 12日(水) ●広島控訴院の正木亮検事長が「隠匿物資を年内に供出しないものは断固たる処罪をする」と談話発表
●広島駅北側の東練兵場跡に「二葉開拓団」発足。20家族が入植、食料増産を進める
●GHQが、芝居の仇討ちもの、心中ものの上演を禁止する
●米・軍政府、朝鮮人民共和国を認めずと声明
 13日(木) ●GHQ、失業者援護計画の立案を指令
 14日(金) ●厚生省、呉引揚援護局を廃止し、大竹地方引揚援護局、同宇品出張所設置
●政府、石炭不足解消のため「石炭庁」を設置。国鉄ダイヤは大幅に削減
 15日(土) ●GHQ、「国家神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布(こう ふ)の廃止に関する覚書」。これにより、国家と神道が分離
●米軍准将コートニー・ホイットニーが、GHQ民政局(GS)局長に就任
●トルーマン米大統領、国府(中華民国国民政府)支持の政策を発表
●東京・上野駅地下道の「浮浪者」2500人が一斉収容される  
 16日(日) ●A級戦犯に指名された近衛文麿が、出頭命令を受け、東京・杉並の荻外 荘(てきがいそう)で青酸カリを服毒、自殺
●モスクワで、米英ソ外相会議が開催される。占領・講和問題、極東問題を 協議し、極東委員会(FEC)、対日理事会(ACJ)の設置を決定
 17日(月) ●栗原貞子ら中国文化連盟結成。広島・祇園町山本国民学校の壊れかけた教室で60人が出席し結成総会開く。細田民樹、畑耕一が顧問に
●衆議院議員選挙法改正が公布され、婦人参政権が承認される
●B級、C級の戦犯の裁判が横浜で始まる。 49年10月19日閉廷までに1037人が起訴され、51人が死刑となった
●朝鮮共産党北朝鮮分局が北朝鮮共産党に改編。金日成が責任秘書に就任
 18日(火) ●広島市の荒神町国民学校が授業再開
●衆議院が解散する
●東海道本線辻堂駅で入替中の貨物車両が爆発。死者8人、倒壊家屋400戸
 19日(水) ●東大で第1回原子爆弾災害調査研究報告会。都築正男博士らが報告
●閣議、総選挙の施行日を、1946年1月21日か22日にする方針を確認
 20日(木) ●GHQ、総選挙期日の暫時延期を日本政府に指令
●「国家総動員法・戦時緊急措置法廃止の件」公布。1946年4月1日施行
 21日(金) ●作家・細田民樹が、「中国文化連盟の結成」を中国新聞に寄稿
●毎日新聞が、16日に自殺した近衛文麿の憲法改正草案要綱なるものを掲載
●米国弁護士会、「フィリピン弁護士会が昭和天皇を戦犯に」と米大統領に要請 したと発表
 22日(土) ●12月12日に開会した広島県議会が新年度予算案などを可決して閉会。最終日には議長、副議長選で、会議そっちのけの多数派工作。天野彦三が議長に。副議長選で敗れた議員派の暴漢数人が議場に乱入(「広島 昭和二十年」より)
●労働組合法が公布される。団結権、団体行動権などを保障。1946年3月1日施行
 23日(日) ●広島・佐伯郡五日市町の広島県農業試験場跡で、広島戦災児育成所が
事業開始
●東京鉄道局、占領軍輸送のため、東北本線と常磐線2等車の切符販売
を停止
 24日(月) ●憲法問題調査委員会(委員長・松本烝治国務相)、第1回小委員会を開
催。以後、小委員会は1946年1月23日まで、8回開催された
●GHQ、テレビや暗号通信などの研究を禁止 
 25日(火) ●事件続発で東京・大森に自警団、銀座でも「防犯決死青年隊」結成  ●川崎市で21工場の労組代表が大会を開く
 26日(水) ●鈴木安蔵、森戸辰男らの憲法研究会が、「憲法草案要綱」を発表   ●広島市議会が広島市の復興を促すため、意見書を決議。郊外に避難している官庁、学校その他の機関に早急な復帰を呼びかけ         ●新劇合同公演「桜の園」、東京・有楽座で開幕
 27日(木) ●中国新聞大佐古記者が日記に書く。「軍国主義者は平和主義者となり、
愛国行進曲はクリスマスキャロルに一変する。融通の効く民族だが、放縦
で打算的ということにもなる」。(「広島 昭和二十年」より、要約) ●米英ソ外相会談が「モスクワ宣言」発表。ワシントンに極東委員会、東京に対日理事会設置が決まる
●ブレトン・ウッズ協定が発効し、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行、IBRD)の設置が決定される
 28日(金) ●外国人記者団10人が、広島入り。デーリーテレグラフ、フィガロ、中国中央通信記者ら、県庁で広島市長、日赤病院長、東洋工業社長らに質問●高野岩三郎、「共和制の改正憲法私案要綱(高野私案)」を発表    ●宗教団体法等廃止、代って宗教法人会令が公布される。これにより信教の自由が法制度的に保障された
29日(土) ●農地調整法が改正公布され、第1次農地改革始まる          ●政治犯等の資格回復に関する件公布                ●国鉄東北線、上越線などの乗車券発売を大幅に制限
30日(日) ●中国新聞大佐古記者が書く。「晴れのち時々曇り、朝の気温零下3度。報道の取締機関・情報局が5年ぶりに廃止。米通信社INSが本年度ニュ
ースのトップに原爆投下をあげる。来年の総選挙に備え3回連載の『中四
国地方の総選挙展望と昏迷する地方政局』を脱稿する」(「広島 昭和二
十年」より、要約)
●中野重治・蔵原惟人、江口渙ら、新日本文学会を結成
 31日(月) ●中国新聞大佐古記者が書く。「曇り、ときどき雨。夜、晴れる。あす天皇陛下は詔勅で『人間天皇』を宣言されるそうだ。祈りに明けた二十年は音もなく暮れる。“神に明け 人が幕引く 大晦日”」(「広島 昭和二十年」より)
●GHQが、修身・日本歴史・地理の授業停止と教科書回収を指令

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