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東京の中空から見えるものは

 8月15日、全国戦没者追悼式の首相式辞。米軍機による市街地空襲などを受けた犠牲者への言及は「戦禍に遭われ」の6字だった。広島、長崎の原爆、沖縄戦を除いた全国の空襲被害都市は200を超え、犠牲者は30万とも50万人も言われている(旧総理府)。中でも東京大空襲の死者は11万5千人以上、負傷者15万人、損害家屋85万戸、罹災者350万人との推定もある(「写真版 東京大空襲の記録」早乙女勝元編著)。
新聞に掲載された首相式辞を読みながら1カ月前、東京で大空襲の一端に触れたことを思い起こした。所用を済ませた翌日、外国人旅行客でごったがえす浅草に紛れ込んだ。その先に東京スカイツリーがそびえていた。ともかく一度はと、御上りさんよろしく裏道を伝って向かった。周辺には寺町、問屋街、職人町の気配が残る。隅田川に突き当たると橋左岸の公園に東京大空襲戦災犠牲者追悼碑があるのに気がついた。台東区が1986年に建立。「あ、東京大空襲 朋(とも)よやすらかに」と刻む。多くの犠牲者を仮埋葬した地である。橋は在原業平の歌からとられたという言問橋。帰宅後知ったのだが、焼夷弾に囲まれて橋の両端から逃げ惑う人々が橋上に詰め合い犠牲を大きくした。当時、一帯は都内でもっとも人口密度が高かった。
 橋を渡って直進する。突き当たりの東京スカイツリーの最上部は高さ634㍍。350㍍の展望台への入場料は2060円といささか高い。とはいえ、ここまで来た以上、もう引き返せない。デッキを一周。東京を海から山まで一望する。狭い中心部に国会議事堂、首相官邸、緑の皇居…。観光気分にひたったのだが、隅田川を見下ろしているうちに突然光景が暗転した。600㍍といえば広島で原爆が爆裂した高さとほぼ同じ。原爆が「空から降って」きたら東京は壊滅状態になるに違いない。しかし、そんなことはありえないと思っているから安倍首相らはゴルフを心置きなく楽しむこともできる。
 ところが安全保障、外交と国民の手の届きにくい領分になると途端に「脅威」を持ち出すのが常だ。核の先制攻撃を止めるには、それ以上の核の抑止力、米の巨大な核の傘の下にあるのが安全と高飛車に説く。自らは日常生活をすいすいと過ごしているのに、国民にはもっともらしく脅威がすぐそこにあるとあおりまくる。こんな厚顔無恥が、鎮魂の夏に今年も繰り返された。東京スカイツリーを高みの見物だけで済ますのはもったいない。(浜風子)

(「広島ジャーナリスト」26号=2016年9月15日発行=から)

  • 2017/05/07(日) 02:51

「国威発揚」と「優生思想」と「天皇制」

・国家目線の「五輪」解説
 NHKの劣化もここまで来たか、という思いだ。8月21日の「おはよう日本」で刈谷富士雄解説委員が「リオ五輪 成果と課題」と題して話し、その中で「五輪開催5つのメリット」として、第一に「国威発揚」を上げた。2位以下も国際的存在感▽経済効果▽都市開発▽スポーツ文化の定着…と国家目線そのものだった。
 オリンピック憲章は冒頭部分の「オリンピズムの根本原則」で次のようにうたう。
 オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、 スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。
 このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、 政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。
 ここには「国家」の概念の入り込む余地はない。「第1章 オリンピック・ムーブメント」の第6項には明確にこう書いてある。
 オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。
 刈谷解説委員はオリンピック憲章を読んだことがあるのだろうか。「五輪と国家」の問題にこだわるのは、1936年のベルリン五輪がヒトラーの号令により「国威発揚」の場として徹底利用されたからだ。
――競技場のメインポールに鉤十字のドイツ国旗が揚がる。ナチ風の挙手の礼をするヒットラー。少年の好きなドイツ国歌の旋律が鳴りひびき、彼は胸のうちで唱和する。
 1940年に日本で公開されたベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」を観たある作家の文章である(沢木耕太郎「オリンピア ナチスの森で」からの引用)。この大会以来、今も引き継がれているのが、アテネからの聖火リレーだ。ホロコーストを引き起こしたナチスの極端なレイシズムは人間をいくつかの種に区分し、その間に優劣があるとして、最上位にゲルマンを含むアーリア人種を置いた。そして、アーリア人種の源流ともいうべき古代ギリシャ人とのつながりを誇示するために仕掛けられたのが、聖火リレーだった。国家の威信をかけたベルリン五輪の成功から3年後、ドイツはポーランドに侵攻する。
 振り返れば、福島第1原発事故の汚染水を「アンダーコントロール」といって招致演説をした2013年9月のIOC総会、リオ五輪閉会式での「アベマリオ」の登場と、安倍晋三首相の出しゃばりが目立つ。閉会式での首相を「斬新な企画」とたたえる向きがあったが、これまでの大会では、オリンピック憲章にのっとって「国家」が前面に出なかっただけのことだ。東京五輪へ向けた日本の体制には国家が大きな影を落としている。危惧すべきことだ。

・公表されなかった被害者の名
 ナチスの「レイシズムと優生思想」に触れたが、現代日本でこの悪夢の再来を思わせる事件が起きた。7月26日未明に起きた神奈川県相模原市内の知的障害者施設での19人殺害事件である。容疑の26歳元職員は今年2月、衆院議長公邸を訪れ「障害者総勢470人を抹殺することができる」という内容の手紙を手渡していた。全文を7月28日付読売が掲載、その判断の是非も議論すべきことだが、読んでみれば「日本国と世界平和のため」と犯行を正当化する思想は、本人も自覚するようにナチズムそのものである。
 事件ではもう一つ問題があった。神奈川県警が被害者全員を匿名にしたことだ。7月29日付産経、8月6日付毎日が、社説で実名公表を求めた。公共性・公益性が高い「公的情報」が、そのまま公開しにくい場合、どうするか。山田健太・専修大教授は「市民の知る権利を代行する報道機関に開示(記者発表)し、適切な配慮のもとで市民に伝えてもらう」という情報の流れが適切ではないかとし「行政の恣意的な判断による匿名発表は情報の流れを一方的に遮断する」と書いている(8月22日付毎日)。しかし、事情を複雑にしているのは、匿名措置が遺族の要望を反映させたものであることだ(8月26日付中国)。
 
・差別禁止法こそ必要
 相模原の事件はヘイトクライム(憎悪犯罪)の側面を持つが、特定の人種や民族への差別的言動を規制するためのヘイトスピーチ対策法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が6月3日に施行され、大阪市も7月1日から規制条例をスタートさせた。いずれも罰則規定や禁止規定を持たない。場合によっては憲法が保障する表現の自由を侵害しかねないからだ。そのため、実効性を懸念する向きがあるが、それが法や条例の強化に向かう動きに直結しないよう監視が必要だろう。権力の側にとっては、かつての治安維持法のような使い勝手のいい言論抑圧のためのツールに化ける恐れがあるからだ。
 そのうえで、現行対策法へのいくつかの指摘がなされている(7月1日付毎日「論点」など)。対象を在日外国人に限定しており被差別部落、アイヌ民族、沖縄(琉球)出身者が入っていないこと、保護対象を「適法に居住する者」としたことで、非正規滞在者への差別が助長されかねないこと、などである。ヘイトスピーチの背後には特定の人たちへの差別感情が潜んでいると考えられることから「差別禁止法制定こそ望ましい」という武村二三夫・元日弁連国際人権問題委員長のコメントが重みを増す。

・「生前退位」が呼び起こす敗戦直後
 降ってわいたように「天皇生前退位」の報道があった。参院選投開票日から3日後の7月13日、午後7時のNHKニュースが「陛下が生前退位の意向」と伝えた。このとき、解説をしたのは社会部宮内庁キャップの橋口和人記者。「週刊新潮」(7月28日号)によるとスクープ記者として知られ、「陛下の体温を知る男」の異名を持つ。同誌によると、2009年ごろから天皇、皇太子、秋篠宮の三者会談が行われるようになり、天皇が冠動脈バイパス手術を受けた2012年ごろから、身の処し方について言及することが増えたという。このころには風岡典之・宮内庁長官も同席していたという。念願のフィリピン戦場訪問を終えた今年春には、かなり強い調子で側近に「退位の意思」を伝え、宮内庁と官邸が情報を共有する形で、対策が練られ始めたという。
 ではリークしたのはだれか。官邸説と宮内庁説があり、参院選直後という時期も絡んで背景の政治的意図まで詮索されているが、今のところ決定的なものはない。風岡長官は報道を即座に否定したが、天皇の政治関与を懸念してのことだろう。8月8日には天皇自身による「お気持ち」ビデオがテレビ各局によって流され、ニュースが真実であることが立証された。
 こうした流れを受けて各紙は大々的に報じた。各紙を見ていると、戦後天皇制がグラウンドを1周して元のスタート地点に戻った、という印象だ。もちろん、その間に時は過ぎ世論も変遷したので、各所で天皇制のほころびや違和感が見えてしまうということでもある。
 最大の違和感は、平和理念と基本的人権、表現の自由の絶対的保障を特徴とする戦後憲法が、その第1条にこれほどの人権無視条項を置いていることによる。皇室典範と併せて読めば、天皇には、天皇にならない権利も途中でやめる権利もないことになっている。天皇も人間である以上、この点は改善されるべきであろう。
 では、なぜこれらのことが今まで顧みられてこなかったか。
 二つの記事が、この辺の事情に言及している。
 一つは8月8日付日経「退位という政治の難題」(芹川洋一論説主幹)。日本が主権回復する直前の1952年1月、衆院予算委で中曽根康弘・衆院議員が吉田茂首相に(天皇の苦悩を取り払うために)退位を考えるべきではないかと質問、首相は「退位は国の安定を害する」と答えたという(中曽根康弘「天地有情」からの引用)。さらに、天皇自身は退位の意向を示したが、GHQが天皇制維持の観点からこれを認めなかったという(「木戸幸一日記」からの引用)。
 もう一つは8月9日付朝日「皇室制度と皇室典範」。戦後の皇室典範は憲法と同じ1947年5月3日に施行されたが、この時の制定過程の議論を紹介。奥平康弘・東京大名誉教授は「(戦争責任追及による)退位論が勢いづくことへの憂慮」から「天皇退位を可能とする変革策を排斥」する意図があったと分析している(奥平康弘「『萬世一系』の研究」からの引用)。
 占領期の初期と末期という違いはあるが、いずれも天皇の戦争責任の問題と日米両国が天皇制を戦後統治に利用しようと考えたこと、戦前の天皇制の残影があったことなどが、こうした非人間的な制度の背景にあったと考えられる。
 直後の各紙世論調査でも国民の大勢が生前退位を容認する考えを示している以上、制度改正は早急に行われるべきであろう。(真崎哲)

(「広島ジャーナリスト」26号=2016年9月15日発行=から)

  • 2017/05/07(日) 02:50

映画「FAKE」―表現者としての森達也

 「あなたの怒りを撮りたいんじゃない。悲しみを撮りたいんです」―。こう語りかけるシーンがある。映画「FAKE」。「A」「A2」でオウム真理教信者を等身大で撮った森達也の15年ぶりの作品である。対象は「ゴーストライター」疑惑で世間を騒がせた佐村河内守。冒頭の言葉で分かるように、森はただ、佐村河内の「主張」や「正義」を世間に伝えようとはしていない。ある対談で「(この映画は)究極の純愛映画」とさえ言っている【1】。森が撮ろうとしたものは何か。
 一時は全聾の天才作曲家とメディアにもてはやされた佐村河内は、「ゴーストライター」を18年間務めたという新垣隆のインタビュー記事(「週刊文春」2014年2月13日号)で疑惑の渦中に突き落とされた。森はその年の9月から1年4カ月、佐村河内のマンションに月1、2回通い、日常に寄り添って作品を仕上げた。
 森はある著書でこう書いている。「活字や映像にかぎらず、表現とはそもそもがフェイクなのだ」【2】。フェイクとは偽物、でっちあげ、うそ。映像や活字によってある事実を映し出そうとすると、そこには主観がどうしても入る。純粋な客観的事実などないのだ。森はそう言う。そうであれば、逆に徹底的に主観的に関わってみよう。森はそうして、佐村河内に密接に関わる。つまり、映画の中で森自身が積極的に顔を出している。それが森のやり方である。「A」や「A2」でも同じ方法がとられた。
 一連の騒動のきっかけとなったインタビュー記事を手掛けた神山典士の著書「ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌」(文藝春秋、2014年)を読んでみた。タイトルからも分かる通り、佐村河内と新垣の人物像を明確に切り分けている。一方は嘘で塗り固めた詐欺師、一方は才能ある音楽家でありながら虐げられた存在…。だが、社会で起きた事件の多くは、こんなにはっきりと腑分けできるものだろうか。
 神山の著書を通してみても、佐村河内は音楽的「技術」はないが、構想力にある種の才能を秘めていること、新垣は音楽的「技術」は優れているが「マインド」や「動機」に乏しいことが伝わる。二人をプロデューサーと職人の関係ととらえれば社会的に特異な関係でないことがうかがえる。
 しかし、神山は佐村河内に「ヘドロのような欲望」「二重人格としかいいようのない摩訶不思議な人間性」と最大限の悪罵を投げつける。そのうえで「広島県人は(略)一攫千金を目指す野心家タイプが多い」という郷土史家の言葉を引き、佐村河内の生き方にもこの気風が生きていると書けば、これは一定のバイアスがかかっているといわざるを得ない。
 遡ってみれば、佐村河内がもてはやされたのも、ある種のバイアスがメディアの側にかかっていたからだった。「全聾」「被爆二世」に飛びつき、楽譜の読めない作曲家という嘘さえ見抜けなかった。それをそのまま反転させたのが、その後の一連の報道であったといえる。
 そうした白と黒の反転合戦に終止符を打とうとしたのが、「FAKE」ではなかったか。あるインタビューで、森はこういう。
 ――白か黒かという二項対立的な発想が嫌いだから、この映画をつくったわけです。だから結果として、「白と黒」が「黒と白」になりましたじゃ意味がない。
 ――メディアがなぜ情報を四捨五入して伝えるかといえば、わかりやすさを社会が求めているからです【3】。
 森は、人間が集団化に走るとき、異物を求めてそれを排除することでさらに集団化への傾斜を強める、という。時代的にいえば、特定秘密保護法や安保法制が作られていったころにこの映画は撮られた。森はこうも言っている。
 ――善悪の二分化と同時に集団化が始まる。日本社会全体が集団として動くようになり、集団は異物を探す。異物を発見した瞬間、自分たちは多数派になれる。(略)それが社会全体で起きる【4】。
 森が「FAKE」で見ているのは、こうしたことではなかったか。では神山は、この映画について、どんな発言をしているか。
 ――どこにも調査報道の跡はない。
 ――森作品は(略)「メディアクライシス」がないと成立しない。数多のメディアの視線にさらされた被写体の裏側からメディアを、世間を逆照射することしか方法論を持たない【5】。
 森は日ごろから、自らを「ジャーナリスト」ではなく、映画監督、作家と呼んでいる。報道に携わるというより、表現者としての位置に軸足を置いているからだろう。一方は調査報道の名のもとに「正義」や「真実」を語り、一方はそれを「FAKE」だという。神山と森は立っている場所、見ているものが違っているように思う=文中敬称略。(真崎哲)

  • 2017/05/07(日) 02:49

歴史は繰り返すか

 今夏、最も興味深かった映画は「帰ってきたヒトラー」(2015年、ドイツ)だった。1945年、ベルリンの総統府地下室で短銃自殺をしたはずのヒトラーがなぜか現代のドイツに蘇る。当初、物まね芸人と見られたヒトラーはテレビに出演、「今の時代こそ責任ある指導者と変革が必要なのだ」と堂々たる演説をし、バカ受けする。ドイツの現状にピタリとはまったからだ。彼は大スターの階段を上り始める―。
 いくつかの印象的なシーンがある。ヒトラーが出会った年老いた女性は、あの時代を知るだけに拒否反応を示し、こう言う。「昔と同じだね。最初はみんな笑っていた」。実際に、ヒトラーは政治の舞台に躍り出たころ「ボヘミアの上等兵」と呼ばれ、嘲笑と蔑みの対象だった【1】。もう一つは、インターネットの存在を知ったヒトラーが歓喜するシーン。メディアはユダヤ人に乗っ取られていると思いこんだヒトラーは自前のニューメディアの開拓に熱心だった。一つはラジオ、一つは映画だった。「ラジオなくしてヒトラーなし」といわれ【2】、1936年のベルリン五輪の記録映画は質の高さで知られた【3】。
現代に蘇ったヒトラーは、ついに映画化される。「怪物」と非難されるシーンで、彼はこう答える。「選んだのは誰だ、普通の市民だ」「私は大衆とともにある」―。
 この映画について長々と書いたのは二つの理由がある。一つは、ドイツの戦後はヒトラー不在のゆえに「あの時代」とは違うと認識されているが、もしヒトラーが蘇ったとしたら、そのままあの時代は再現されてしまうのではないか。もう一つ、この映画で語られていることは、いつでも戦前・戦中に回帰しかねない危うさを秘めた日本の政治の現況にも当てはまるのではないか。
 ナチスの過激な言動を嘲笑しつつ、共鳴する。この現象をジャーナリスト武田徹は社会学者・大沢真幸の言葉を引き「アイロニカルな(反語的な)没入」と呼ぶ【4】。簡単に言えば意識と行動の逆立的関係。信じてはいないのだが行動は違う、ということであろう。安倍晋三首相の「反知性主義」は「ヤンキー主義」とも揶揄され嘲笑の対象だが【5】、一方で高支持率を維持している。この現象も、この言葉で説明できそうだ。
 視点を変える。今夏、オバマ米大統領の広島訪問をめぐって各紙が総括的記事を載せた。多くは肯定と礼賛だった。そんな中、目についたのが政治学者・白井聡の一文だった【6】。「問題の核心」は「(オバマ大統領の訪問を)受け止める側、すなわち我々日本国民の側にあった」とし、そのうえで「『ヒロシマ・ナガサキと平和憲法』によって支えられてきた戦後民主主義の神話は、福島第一原発事故をきっかけにその正体を露にした。その事実を正面から受け止められないまま、われわれは五・二七の無惨な場面を迎えるに至る」という。それは、「原爆をめぐる歴史のサイクルが一回りして一旦閉じたのだ」という感慨につながる。
 戦後71年の中で「ヒロシマ・ナガサキ」は何だったかを問い直すべきだという白井の視点は正しいだろう。ここで想起されるのは坂野潤治著「日本近代史」【7】である。幕末の1857年から日中全面戦争へと突入した1937年までの80年間を日本の近代ととらえた。日本が「崩壊の時代」の入り口に立った1937年から、来年でちょうど80年。この80年はいったいどんな時代だったか。そして、この先80年は。
(「広島ジャーナリスト」編集長 浅川泰生)

【1】「ヒトラーとナチ・ドイツ」(石田勇治著、講談社現代新書、2015年)
【2】「大衆宣伝の神話 マルクスからヒトラーへのメディア史」(佐藤卓己著、筑摩書房、2014年)
【3】「民族の祭典」「美の祭典」の2部構成で計約200分。1938年に公開され、ヴェネチア国際映画祭で外国映画最高賞。日本ではキネマ旬報の1940年外国映画1位。戦後、プロパガンダ映画とされ、監督のレニ・リーフェンシュタールは二度と映画を撮ることができなかった。しかし、この作品を超える五輪記録映画はいまだにないとされている。 
【4】7月22日付産経新聞。
【5】「反知性主義とファシズム」(佐藤優・斎藤環著、金曜日刊、2015年) 
【6】「福島以降の広島」(「現代思想」2016年8月号〈広島〉の思想) 
【7】ちくま新書、2012年

(「広島ジャーナリスト」26号=2016年9月15日発行=から)

  • 2017/05/07(日) 02:47

広島の思想が読み替えられた日

 5月27日、オバマ米大統領が広島市の平和記念公園を訪れた。71年前、原爆を投下した国の最高権力者が初めて原爆慰霊碑の前に立った。
 翌日付の新聞各紙は大きく報じた。見出しを拾う。「核なき世界 追求する勇気を」「ノーモア決意刻む」「広島の思い伝えた」「平和への願いつなげる」「非核 願いは一つ」―。
 核兵器廃絶へ向けた高揚感が見て取れる。しかし、大統領が語ったことと現実との落差は大きい。
 広島訪問の日、大統領は軍民共用の岩国空港に降り立った。米海兵隊航空基地の格納庫で米軍と自衛隊関係者、福田良彦岩国市長ら約3千人に対して約10分間スピーチをした。日本側の協力に感謝し、日米同盟は世界の安定の源と持ち上げた。沖縄の米軍軍属による女性遺体遺棄事件には触れなかった。米軍最高司令官の顔があった。
 大統領はヘリと車を乗り継ぎ、平和公園に入った。約50分かけたケリー国務長官とは対照的に、原爆資料館は10分ほどで出た。続いて慰霊碑前で17分間の「所感」を述べた。事前に伝えられた「数分間」より長かったがプラハの28分より短かった。違和感があったのは「空から死が降ってきて世界は一変した」という冒頭の部分だ。自然現象のような言い回しだが、発したのは当事国のトップである。本当はこう言うべきだった。
 いま私が指揮する米軍は71年前、この地に原爆を落とし、無差別に市民を殺戮した。
 原爆投下正当化論が今なお半数を超える米国世論を見れば言えるわけがないという事情は理解する。しかし「安らかに眠ってください/過ちは/繰返しませぬから」と書かれた碑の前では、過ちは過ちだといわねばならない。死者が安らかに眠るために。
 スピーチとほぼ同時刻、慰霊碑の北方数百㍍で市民シンポジウムが開かれた。「被爆の実相に触れたとはいえず、核兵器廃絶については中身がなかった」とする声が多かった。大統領が原爆犠牲者を「10万人を超える」としたことに森瀧春子さんが怒りを込めて抗議していたのが印象的だった。広島、長崎両市の調査では1945年末までに亡くなった人は20万人を超えた。溝は深い。被爆者にとっての「戦後」は終わっていない。
 川崎哲さんは国連作業部会での「核兵器禁止条約」の議論を紹介した。参加80カ国以上のうち過半数を占める禁止条約の交渉推進論に対して米国など核保有5カ国はボイコット、日本は参加こそしているが反対派の先頭にいる。こうした状況をふまえ「核兵器禁止が現実化している今、戦争一般の話をするのはマイナス効果がある」と批判した。
 スピーチの後、大統領は2人の被爆者と短い会話を交わし、そのうちの森重昭さんを抱きしめた。写真と動画は世界を巡り、日米和解の象徴として新聞やテレビで紹介された。民間の歴史研究家で、被爆死した米兵捕虜12人の名前を突き止めた人。著作もあるが一般に知られているとは言いにくい。森さんの努力を米側が慰労したというべきなのだが、「和解」のシーンとして、その後もメディアで語られた。
 「被爆者は謝罪を求めていない」と公然と語られ、新聞に「被爆者78% 謝罪求めず」の見出しが躍った。記事では「本当はしてほしい」という声まで「求めず」に入れられていた。「78%」が一人歩きした。被爆者の複雑な心情をよそに「謝罪」を求めにくい風潮が作られた。
 厚木基地の空母艦載機移駐で岩国基地は来年、極東最大の米軍基地になる。最新鋭ステルス戦闘機F35Bも米国外で初めて配備される。日米軍事同盟の最重要拠点を訪れた大統領が、直後に広島で「平和」を語った。
翌日の保守系新聞は「日米の和解と同盟深化を示した」とする社説を掲載した。「広島の思想」は市民主義に立ち絶対平和を求めてきた。大統領は約50分間滞在した公園を出る直前、安倍晋三首相と並んで原爆ドームを見た。視線の先に力による「平和」があったとしたら、それはこれまで築かれた「広島の思想」の読み替えに他ならない。
(「広島ジャーナリスト」編集長 浅川泰生)

(「広島ジャーナリスト」25号=2016年6月発行=から)

  • 2016/12/23(金) 13:37

つくられた「謝罪求めず」 広島のオバマ大統領

 オバマ米大統領が5月27日、広島を訪れた。主要7カ国(G7)外相会合が閉幕した4月11日以来、ほぼ1カ月半にわたった「オバマ狂騒曲」。あれは何だったのか。各紙の報道ぶりを通して振り返る。
    ◇
 オバマ大統領の広島訪問について「謝罪を求めるかどうか」の議論があった。微妙な問題ではあるが、日本政府がこれまで謝罪を求めていないことから、米政府が「謝罪しない」とのメッセージを発信。これがメディアで伝えられて広島県、市の首長や被爆者団体幹部も「謝罪は不要」と発言した。こうして「謝罪不要」論がメディアも加担する形で大きな流れになった。
 被爆70年の昨年、朝日新聞社が被爆者にアンケートをした(8月2日付)。有効回答5762人のうち、「米国大統領が広島・長崎を訪問すべきか」の問いで24・0%が「訪問すべきだが謝罪は必要ない」と答えたのに対し43・4%が「訪問して謝罪すべきだ」と答えている。米国内の原爆投下正当化論に対しては「憤りを感じる」が46・7%だった。オバマ大統領の訪問決定が伝えられた後の5月23日付中国には「被爆者78% 謝罪求めず」の見出しで一つのアンケート結果が報じられた。共同通信の出稿だった。調査対象が115人と少ないうえ、調査方法も質問の立て方も朝日とは違っていたため単純な比較はできないが、それにしても1年足らずで大きく傾向が変わった。なぜこうしたことになったか。
 記事では、訪問の障害にしたくない、日本の加害責任を考えれば米側の責任だけを追及できない、などの複雑な心境が紹介されていた。「求めない」を選びながら「本当はしてほしい」と答えた人もいたという。
 こうしてみると、「求めない」というくくりで「78%」という数字を打ち出すのが無意味なように思える。しかし、新聞の1面の大見出しで伝えられれば、それが一人歩きする。
 こんな調査もあった。5月24日付朝日。全国の有権者1877人から回答があった。「オバマ大統領が広島訪問を決めたことを評価するかしないか」の問いで89%が「評価する」と答えたという。「なぜ」「どんな点を」という理由は聞かれていない。つまり「来ないよりは来た方がいい」というぐらいの評価と思われる。しかし、89%という数字がやはり一人歩きした。調査では、原爆投下についての設問もあった。選択肢の一つは「非人道的だが、いまではそう深く根にもっていない」だった。謝罪や、誤りを認めるよう求めることへのマイナスの評価が感じとれる。世論を誘導する一つの要因といえる。
 同日付中国には「広島とオバマ大統領 守るべき一線 譲ったのか」の見出しで繁沢敦子・神戸外大准教授が寄稿していた。米国に公式謝罪を求めても期待できないという事情を「理解している」としたうえで「問題は『被爆者は謝罪を求めていない』という言葉が一人歩きしている」「日本国内で一方的に言説がつくられた感がある」と指摘した。
 長年の苦しみに根差す憎しみや怒りといった「負の感情」は外に出しにくい。大統領歓迎ムードが高まればなおのこと、そうした思いは強まる。そんな時、突然訪ねてきた若い記者に被爆者が簡単に本当の心情を明かすだろうか。「原爆と検閲」の研究者である繁沢准教授は「検閲ではないにしても、同様の力が働いた可能性がある」とする。
 メディアを含めて「被爆者は謝罪を求めない」という言説がつくられ、その結果、謝罪を求める声が封印されたのではないか。今後、検証すべき課題である。
 この問題で平岡敬・元広島市長は、広島県・市の首長、被爆者団体の幹部が「謝罪を求めない」と軽々に発言することに対して「無残に殺された死者を冒涜する」(5月21日付中国)と述べた。一方、1984年に基本要求として「米国の謝罪」を盛り込みながら今回、オバマ大統領への要望書に「謝罪要求」を入れなかったことへの田中熙巳・日本被団協事務局長の苦しみを、5月26日付朝日が伝えている。いずれも、長い年月の間、問われ続けてきた重い課題であることを示している。
    ◇
 オバマ大統領が離日した直後の5月28、29両日、共同通信社が電話世論調査を行った(回答数1026人)。結果は30日付中国で報じられた。広島訪問を「よかった」と答えたのが98%だった。「謝罪するべきだった」は18・3%、「謝罪する必要はなかった」は74・7%だった。産経とFNN(フジニュースネットワーク)が同時期に行った世論調査(回答数1033人)でも、広島訪問を「評価する」が97・5%、謝罪すべきかの問いでは「思わない」が68・2%で、ほぼ同様の傾向が表れた。6月5日付朝日でも被爆者の9割(66人中58人)が「評価する」と答えた。大統領の「所感」が核兵器廃絶への具体的提案を持たなかったこと、原爆投下責任に触れなかったことなどを考えると、この数字は異常と思える。5月29日付毎日は、大統領の言葉をどう受け止めたか、全国の被爆者10人に聞いた結果を掲載した。所感の内容への評価は高かったが、核兵器廃絶の今後には、2人が「進む」と答えただけだった。
    ◇
 時系列のドキュメントで当日の大統領の行動スケジュールが最も詳しかったのは毎日だった。その内容が正確だと仮定すると、エアフォースワンは岩国基地に約3時間40分駐機した。うち岩国・広島の移動時間は計1時間17分。平和記念公園の滞在が51分で、岩国基地には約1時間半いたことになる。基地では約10分間のスピーチをした。残る1時間余りは何をしていたか、メディアは伝えていない。被爆の実相を知ってほしいという被爆者の願いをよそに資料館滞在は10分、被爆者との対話も慰霊碑前の立ち話だけという細切れスケジュールを見れば、もう少し平和公園で時間を取る工夫はなかったかと思われる。
   ◇
 広島訪問を取り上げた各紙社説は大きく二つに分かれた。一つのグループは中国、朝日、毎日。もう一つは読売、産経。日経は独自の立場だった。第1グループは大統領の訪問は評価するが、核廃絶のその後の道筋が見えないとした。したがって見出しは出発点、転換点、再出発などとなった。安倍晋三政権寄りである第2グループは日本周辺の核状況に目を移せば日米同盟は重要であり、核抑止力も否定できないとした。日経は訪問の意義を日米和解に見出し、アジア安定に向けた米軍基地の重要性を訴えた。
(真崎哲)

(「広島ジャーナリスト」25号=2016年6月発行=から)

  • 2016/12/23(金) 13:37

「被災者優先」という名の言論統制

 熊本地震の報道ぶりを調べていて、小さなコラムが気になった。4月16日付「産経抄」である。震災の発生で川内原発を止めるよう求めた声に対して「熊本の被災者は二の次で、己の政治的主張を優先したとの印象を受ける」と書いている。続けて「彼らは、憲法への緊急事態条項への盛り込みに反対している点でも軌を一にしている」とし「わが国には危機管理は必要ないと信じているのかもしれない」と結んでいる。
 コラムの趣旨に沿えば、憲法改正によって緊急事態条項ができれば、深刻な災害が起きても市民は原発停止を求めることさえできない、それが危機管理というもの、ということになりはしないか。
 今回の地震の特徴として当初から言われたことは「これまでの常識や経験則を覆す」「前例がない」ということだった。発生直後にテレビで地震学者が「予測はできない」と言ったのは記憶に新しい。そうであれば、熊本で動いた二つの活断層の延長線上に位置する川内、伊方の二つの原発に目配りをするのは、それほど奇異なこととは思えない。コラムは、極論すれば「非常時」に名を借りてさまざまな懸念や反論を封じる、かつての「非国民」に近いレッテルはりを感じる。
 熊本地震では、米軍の沖縄駐留オスプレイ2機が岩国経由で熊本に入り、物資輸送をするという一幕もあった。誰が見ても露骨な政治ショーだが、約60人乗り輸送ヘリCH47約70機を保有する自衛隊がなぜ、約30人乗りオスプレイの支援を要請しなければならなかったかは、ほとんどの新聞で報じられなかった。わずかに4月19日付中国「表層深層」の「オスプレイ 思惑交錯」が裏面の一端を伝えていた。この記事でも「あまりに露骨すぎる」という防衛省幹部の声が紹介されている。
 これに対して産経は4月23日付「主張」で「政治利用の入る余地がどこにあるのか」としたうえで同日付「単刀直言」でロバート・エルドリッヂ元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のインタビューを載せた。彼はこの中で「政治的な対応と災害対応は分けて考えるべき」としたうえで「オスプレイに反対だという人に聞きたい(略)イデオロギーのために次の災害で同胞を犠牲にするのか」と述べている。被災者支援という、一見だれも反対できない言葉で対立する意見を封じようとする論の構造は、冒頭の震災と原発をめぐる言論封殺の構造と似ている。(真崎哲)

(「広島ジャーナリスト」25号=2016年6月発行=から)

  • 2016/12/23(金) 13:35

スタジアム建設めぐり?不可解な人事

 異例の人事が中国新聞社であった。春の定期異動(3月1日付)後の3月23日に内示された。編集局に衝撃が走ったという。報道部長が4月1日付で読者と報道委員会事務局長に代わった。新聞づくりの要のポストから、後衛への突然の異動である。本人の体調によるものではない。事情があって代えるのであれば、なぜ3月の定期異動で発令しなかったのか。
 内示翌日の24日、今度は株主総会で役員担務の変更があった。編集担当1年の常務が営業担当に戻り、営業担当の専務が初の編集担当に。異例だ。疑念は広がった。
 二つの人事について社内は「広島市のサッカースタジアム建設報道をめぐる左遷だった」という見方でほぼ一致している。だれが、どんな理由で? 「新聞社のオーナーであり、代表権を持つ会長の指示しか考えられない」。公然の事実のように語られている。「地方紙の雄」を自認する中国新聞だが、オーナーの意向に逆らう役員はいない。「何事も会長の一存」「その意向をむしろ忖度する経営が横行している」との指摘も少なくない。
 では、報道内容の何が問題だったのか。内示が3月1日の定期異動後に、唐突に出てきたことにヒントがありそうだ。
 サンフレッチェ広島のスタジアム建設計画がある。広島県・市・商工会議所の三者とサンフレ側との意見対立で、建設場所が決まらない。ここにきて「迷走」ともいえる事態になってきた。きっかけは、3月3日の久保允誉サンフレ会長の記者会見だ。久保氏は旧市民球場跡地(中区)を候補地として整備する独自案を発表し、県や市、商議所が「優位」とする広島みなと公園(南区)に決まれば「サンフレのフランチャイズとして使わない」と言ってのけた。
 中国新聞紙面の扱いは大きかった。1面の左肩にまずニュースを扱い、社会面のトップで「強硬姿勢 賛同と驚き」「県・市など困惑」の見出しを取り、解説記事と会見での一問一答を掲載した。翌日も「見えぬ着地点 動揺続く」と続報を打った。
 これが、新聞社トップの逆鱗に触れたようだ。あとで配置替えとなった2人は会長に呼ばれたという。そこで記事をめぐりどんなやりとりがあったのかは知る由もない。しかし、オーナーが人事権を使って報道内容に介入したとすればいただけない。編集権が独立してこそ「公器」と言える。労働組合はこの人事を問題視し、労使の話し合いの場(4月の定期労懇)で議題にしたそうだ。(暁治)

(「広島ジャーナリスト」25号=2016年6月発行=から)

  • 2016/12/23(金) 13:34

ヒトラーとナチ研究、対照的な2冊

「ヴァイマル憲法とヒトラー 戦後民主主義からファシズムへ」(池田浩士著)
「ヒトラーとナチ・ドイツ」(石田勇治著)
 ヒトラーやナチズム研究書の刊行が相次いでいる。このことに触れ「保阪正康の昭和史のかたち」(2016年1月19日付毎日新聞)は「人類は二度とヒトラーのような指導者に支配される時代はありえない、と断言できるのかといった不安な心理がこうした書には共通している」と指摘する。難民が押し寄せる欧州では排外主義政党が台頭し、米大統領選では強権思想のトランプ氏に支持が集まる。全体主義の予感と息苦しさが世界を覆い始めた。こうした変化がヒトラー研究へと駆り立てる。
 「ヴァイマル憲法とヒトラー」「ヒトラーとナチ・ドイツ」は、同じテーマでありながら、すべてが好対照をなしている。前者は自由奔放、後者は端正で教科書的である。
池田は、ナチズムを「国家社会主義」と訳すことに詳細な考察を加える。もともと日本では戦前、戦中に「国民社会主義」と訳した。戦後、「国家」や「民族」が否定的概念としてとらえられ、憲法などで「国民」が肯定的に扱われるようになって「国家社会主義」が定着したという。ここで池田は「国民」という概念が、本当に肯定的にとらえられるべきか、と疑問を投げかける。私たちは「国の民」なのか。「国の民」としてしか生きられないのか。それは日本の戦後体制への批判を含む。
 ヴァイマル憲法の最大の弱点―ヒトラーに付け込まれた弱点―は、大統領緊急命令条項である。非常時、ほとんどの人権条項の停止を含む大権を大統領に付与した。なぜこの条項が組み込まれたか。池田は、近代国家として日が浅いドイツの臣民意識の痕跡だという。そしてこれは、冒頭部分に天皇条項を置く日本国憲法にも共通するという。池田はナチズムを通して戦後日本を見る。
 「ヒトラーとナチ・ドイツ」は、近現代においてドイツはヨーロッパをけん引すべき「文明国家」であったのに、なぜユダヤ人虐殺に象徴される極端な全体主義の虜になったのかを解き明かす。
 「はじめに」で著者はこう書く。
 ナチ体制は単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの人びとを体制の受益者、積極的な担い手とする一種の「合意独裁」をめざした。
 この辺にナチ体制の特質を見極めるカギがある。著者はナチ時代を、ヒトラーが首相になった時期から開戦までと戦時体制下に分ける。戦後初期の意識調査によれば、20世紀でドイツが最もうまくいった時期は、との問いに回答者の4割がナチ時代前半と答えたという。これほど受け入れられたナチ思想とは何か。「我が闘争」に基づく、ドイツの政治学者クルト・ゾントハイマーの分析が紹介される。
 アーリア人はどの人種よりも優れているという思い込み▽無責任な議会主義より一人の指導者の人格的責任において決定されるべきだとする指導者原理▽マルクス主義への絶対否定▽民族共同体が拒絶すべきすべてのことがら(民主主義、個人主義、マルクス主義)にユダヤ人が関与しているという反ユダヤ主義―。
 第1次大戦後、ドイツは過大な賠償金を求められインフレにあえぐ。苦境から逃れるため社会民主党を中心にした大連合政権は、米国の銀行家ヤングが提示した賠償支払い軽減案受諾を決める。これに反対する国民運動が起きる。先頭に立つのはヒトラー。背後にはナショナリズム高揚への期待感があった。運動は後の国民投票で少数の賛同しか得られなかったが、ナチが上昇気流に乗るきっかけになった。それから4年足らずでヒトラーは政権を握り急速に独裁体制を築く-。記述は平易で、細部に配慮が行き届いている=真崎哲。
(「ヴァイマル憲法とヒトラー 戦後民主主義からファシズムへ」は岩波現代全書、2500円。「ヒトラーとナチ・ドイツ」は講談社現代新書、920円=いずれも税別)

(「広島ジャーナリスト」25号=2016年6月発行=から)

  • 2016/12/23(金) 13:31

許してはならない有事の民間船員利用

 この道はいつか来た航路か。防衛省が民間船員を有事での輸送船運航に従事させようとしている。海上自衛隊予備自衛官補に採用後、一定訓練して予備自衛官にするこの制度、既に陸上自衛隊は運用しており、海自への広がりは国民を強制動員した戦前の徴用復活に通じかねない。防衛省が2016年度予算案に実施費を組み込んだことに対して船員たちの労働組合である全日本海員組合は1月29日、森田保己組合長が記者会見、「断固反対する声明」を出した。
自衛隊は沖縄など南西地域での有事に備える機動展開構想を持つ。それに関連して輸送艦の不足を補うために民間フェリーの利用に伴う船員の活用をうかがっている。しかし船員たちにとっては命に直結する大問題だ。アジア・太平洋戦争時の徴用で船員たちは米潜水艦などに撃沈されて藻屑となった。声明は「1万5518隻の民間船舶が撃沈され、6万609人もの船員が犠牲となった。この犠牲者は軍人の死亡率を大きく上回」ると無念さをにじませる。
同組合は発祥の地である神戸市内に「戦没した船と海員の資料館」を開設。2001年には戦没船写真集を発刊し、墓標として主な300隻の在りし日の姿をとどめた。発刊時の組合長は、特定海域に入ると必ず合掌する先輩の姿を紹介。「14歳で徴用船員となった先輩は、自分たちの船団が攻撃を受け血と油の海に投げ出され、多くの先輩同僚たちが力尽き果て海の底に没していって、己だけが助かったという断腸と慚愧の思いで合掌していた」と記している。戦艦大和などの沈没、米潜水艦に撃沈された学童疎開の対馬丸などの悲劇は語り継がれているが、民間船員たちの犠牲が広く知られているとは言いがたい。
同組合ホームページは都道府県別の戦没船員数を載せている。比較してみると、最多は旧海軍閥の鹿児島の3746人。次は広島で3427人、その次は2999人の兵庫だった。広島県は大陸への兵士、軍需物資の輸送基地であり内航海運、造船が盛んな地であった。今も同様である。
1月29日の毎日新聞電子版によると、防衛省幹部は船員に強制することはないとしているが、森田組合長は「会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想される」と強く懸念している。安倍晋三政権の集団的自衛権行使の容認、戦争法制定でいや応なく戦場死の覚悟を持たなければならなくなった自衛隊員。さらにその不安が船員たちと家族に及ぶようなことがあってはならない。(浜風子)

(「広島ジャーナリスト」24号=2016年3月発行=から)

  • 2016/09/23(金) 13:32
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